知的に障害を持つ当事者の一見ちょっと変わった言動はよくこだわりと呼ばれる。

あまりよい意味では使われない。

その言動を当事者たちは制止されたり制限されたりもする。



でも、


実際にそんなにいけないことばかりだろうか。


真冬にアイス、
いいんじゃないかニコニコ


同じ場所を何度も行ったり来たりする。

考え事するときこんな人よくいるよねにひひ


特定のフレーズを何度も繰り返し口にする。

口癖とちがうの?ちなみに私は意味もなくCMソングを口ずさんだりするなニコニコ


自分の着衣を破いてしまう。

もったいないけど、気に入らないなら仕方ないか。


突然奇声を上げる。

誰だって叫びたくなる時あるだろうショック!


自分の大切にしているものを壊したり捨てたりしてしまう。

目覚まし時計を投げつけて壊した経験のある健常者と呼ばれる人を何人も知ってるぞガーン



もちろん程度にもよるだろうし、その時の状況やいろんな条件やらたしかにある。

同じような言動でも、制止したり許されたりすることもある。

だけどそれって誰の都合?


実際に当事者とつきあっていると、そうは言ったってとめなきゃいけない場面はもちろんある。


でも自身の価値観の押し付けに無自覚でいると、自分を正当化しようとする。

そのことへの振り返りがないと、支援者は支配者に変わる。



マイノリティを尊重してともに生きる社会は、自身の価値観だけにとらわれずいっしょに考えていくことが重要だと思う。

けして全面受容ではない。

きちんとぶつかりあえることも必要だ。その上でお互いを認められる関係。


残念なことにまだまだ今の社会は未成熟だ。


当事者は自らが選択し決定する、失敗をも含めた経験の場をもっと保障されるべきで、私たちはそのことに真剣に向き合わなければならない。


私たちはその先にある対等な社会を目指していきたい。