たくさんの愛をもらったから、
私ができるカタチで
愛を循環リレーさせたい
昨日の朝
急にそんな思いが降ってきました。
5月28日
宇宙の愛の周波数と言われる日に
この世を旅立った兄
たくさんの人に支えられ
たくさんの愛を受け取って
この日まで命をつないできた。
そして兄が無事、
生涯を終えられたのは
精一杯、兄の命を支えてくれた人
愛してくれた人たち
関わってくれた全ての人のおかげだったな。
と思うのです。
兄は、身体が全く動けなかったことや
言葉も話せなかったことから
(最後の4年は特にそうでした)
「人は人がいないと生きていけない」
ということを
まっすぐに、生きる姿として教えてくれました。
それは
お水を飲むにも、誰かに飲ませてもらい
排泄も誰かにお願いする。
温かい、寒いなどの調整も、
気がついた誰かが全てやってくれていた。
今日の体温はどうかな?
呼吸はどうかな?
寝返りもそろそろしないとね。
身体をマッサージしようね。
かさいくんはオシャレだから髪をカッコよくとかそうね。
(兄はかさい君と呼ばれていた)
お風呂に入ってすっきりしようね。
胆が詰まりそうだから出そうね。
爪が伸びてきたから切ろうね。
そんな風に
私たちが
当たり前のようにできる事の全てを
誰かにやってもらい、
支えられながら生きてきた。
その人達は「チームかさい」として
何十人もが一丸となって
兄の命を支えてくれていた。
この映画そのままだった。
命は生かされ合っている
と、いうけれど
それを間近で何十年も見てきて
実感として受け止めた。
みんな一生懸命だった。
ひとつの命を支えるのに
何十人もの人が携わって
みんなが兄を生かすのに一生懸命になる・・・。
それだけ人の命は尊い存在なんだと
私はこの人生で知れた。
そして4年前
兄が心肺停止になった時も
多くの人が
兄のために、見返りもなく
ただ、ただ愛の思いで、祈ってくれた。
このような
「愛の経験」を
たくさんさせてもらった。
そんな過程や経験を経て
「今」の私が出来ることってなんだろう?
そう、一段落ついて考えるようになった。
もちろん、
親をはじめ「チームかさい」の人たちや
祈ってくれた人、支えてくれた方に
「ありがとう」
と感謝を伝えること。
人に愛を持つ事。
人を労ること。
そして、
自分を愛し
命を一生懸命に全うして生きていくこと。
こうした「自分の在り方」が出てきました。
しかし、この思いの中
「やらないといけない日常リスト」は
まだまだ続いていく。
その狭間の中で
「私の魂が望んでいることってなんだろう?」
「私が望むことってなあに?」
そう
純粋に自分に問いかけてみた。
その時に出てきた答えは
たった一つ
兄がたくさんの愛によって
幸せに人生を終わらせられた
だから、今度は
私が、誰かの幸せのために
兄がもらったたくさんの愛を
誰かに渡したい
って思いだけが残った。
「私のまま」
「私らしく」
「心が命じるまま」に
縁ある人に
もらった愛を渡し、
愛の循環のリレーが出来たら、私は幸せだな。と
じゃあ
私のままってなんだろう?
私らしくってなんだろう?
心が命じるままってなんだろう?
その時
ふと浮かんだのが
「祈り」
私は祈りのチカラを信じてる。
こどもの頃から、
誰かが苦しんでいると自分も苦しくなった。
でも、そんな時
祈ることで、苦しみが軽くなったり
誰かがほっと一息つけることを知っていた。
だから・・・・何かあると
「祈る」
嬉しいときも、悲しいときも、温かい気持ちの時も、荒んだニュースを見た時も
「祈る」
祈りに支えられ、
祈りを捧げるとき、
不思議と本当の自分に戻れた。
祈りと共に生きてきた。
祈りとは私にとって、生きること
祈りとは私にとって、誰かを愛すること
祈りとは私にとって、全ての世界が関わり合って結ばれていることを実感すること
祈りとは私にとって、命を讃えること
祈りとは私にとって、世界に感謝すること
祈りとは私にとって、勘違いを訂正すること
祈りとは私にとって、神さまや宇宙を愛すること
祈りとは私にとって、おおいなる何かに繋がること
誰に言われた訳でもないけど
祈りと共にここにいた。
だから今は、
誰かを祈ることが
私に出来る
最善最高のことだと思った。
「祈り」を通して
縁ある人が
少しでもいいから、幸せの花を心に咲かせてもらえたら嬉しいな。
これは、兄がたくさんもらった愛を
必要な人に渡す
「愛のお礼の循環リレー」
だと思ったのです。
だから、心を込めて
あなたが幸せでありますように。
あなたが幸せでありますように。
あなたが幸せでありますように。
と
兄がもらった愛を
あなたに祈りとして贈らせてください。
じゃ、
この思いを
どのようにしたらいいのかな?
そう考えた時
祈って欲しいという方
この人を祈ってほしいという方など
ご連絡をくださった縁あるみなさんに
6月6日から夏至の6月21日までの
16日の間
順番にお一人づつ祈りを届けたいと思います。
もちろん、祈りは
どんな事でも、ささいなことでも良いです。
問題があっても、なくても良いです。
祈りは、何か状況を良くするだけではなく
あなたの人生の1コマに添わせてもらう愛のカタチだと思うからです。
そして、祈りを受け取られた時
もし、少しでも温かい気持ちになったり
「よかったな」と思うのであれば
今度はあなたが
誰かに優しさや愛を心の中で送る
祈り手になってください。
例えば
街中で妊婦さんをみかけたら
心の中で
「元気な赤ちゃんが生まれますように」
と、そっと祈る・・・
こどもの友達が、学校になかなか馴染めないのなら
「大丈夫だよ」
と、そっと祈る・・・
コンビニにある募金箱におつりを入れて
「あなたが少しでも幸せでありますように」
と、そっと祈る・・・
何でも良いと思います。
誰かの幸せを、そっと祈ることは
そこはかとなく美しい魂の姿。
神さまが私たちに与えてくれた
本質だと思うのです。
そしてきっと
世界は人の優しさで出来ている
この世界は
愛の祈りで溢れている
誰かが誰かを思う、愛の心で
支え合いながら成り立っている
その、小さな思いを
日常で結び合って
命は繋がれているのだと思うのです。
だから、特別なことじゃない。
いつものこと。
でも、とても特別なこと。
それがいつものこと。
その少しのきっかけになれるなら
私は嬉しいです。
兄がもらった愛のお返し、循環として
リレーする。
私を通して祈りを届けさせてください。
兄もきっと喜んでくれるんじゃないかなと思います。
みなさま
いつも支えてくれてありがとうございます。