5月22日の昼に別れは突然やって来ました。

前日の夜は薬を投与しても痛みがおさまらないのと、痙攣発作が何回か続いて寝れない状態でした。
手足が冷たくて、布団を何度かけ直しても熱いといっては蹴飛ばして剥いでしまう始末で、夏鈴の横に添い寝して、手足をマッサージしてあげながら朝を迎えたのでした。
夏鈴が痛いと言えば、どんどん薬を追加することぐらいしか出来なくて、意識もうろうの中で朝食を完食しました。
エネーボを飲んでキウイフルーツ1個食べ牛乳で締めるという前日と全く同じパーンのメニューでした。

22日は郡山市の自宅に戻り、夏鈴の元に届けられたプレゼントを引き取りにいく予定をしていました。
11時過ぎた頃、力が入らなくてトイレに行く自信がないから、部屋でやりたいというので、看護師さんにお願いして大きいのと小さいのを済ませることができて、さっぱりとしたところへ、昼御飯が運ばれて食事の世話をしながら出掛ける準備も並行してたのです。

「ママ居なくても大丈夫か?」
と聞いたら心細そうな目をしたので、ご飯を食べさせてあげました。
「んじゃ行ってくるよ」
と夏鈴の顔を覗き込んだら歯が汚れてたので、歯みがきの手伝いをしてあげました。濯いで吐き出した水が赤かったので、歯茎から血が出てるのかと思っのだけどそうでもなさそうで、不安があり出掛けるのをやめようか悩んでいるそのタイミングで、その時が突然にやって来たのです。

ベットに横になって、ベットサイドについてるフェンスに捕まって、枕の位地を直しながら突然に、
「はぁーーー」
と息を吸い込む声を出して目を見開いた状態で固まってしまいました。
何度も揺り動かし、声をかけても意識は戻らずゆっくりゆっくり息を吐き出すように段々と弱くなり、静かに息を引き取りました。

夏鈴は用を足しご飯を食べて歯磨きをして、綺麗な体であの世へと旅立って行きました。
きっと、そこはポケモンの世界に似たような楽園であってほしいと思います。

主人と下の娘には、常々、夏鈴は私が見てるから、怪我や事故のないように、それぞれの持ち場で 頑張ってほしいとお願いしてきました。
私が仕事していないので、行ったり来たりの交通費も勿体無いこともあって、お見舞いにあまり来させなかったことを悔やまれます。
死に目にも立ち会わせることができず、本当に申し訳なく思っています。
夕方には自宅に連れて帰り、2晩一緒に家族水入らずゆっくりと過ごす事が出来ました。





5月24日(日)通夜式が行われました。
生前に、
「自分の葬式には沢山の人に来て貰い賑やかにやってね。
友達にも会いたいし、ファンの人にも会いたいし、でも自分が見れないのは残念!」と、言われたのでライブ式葬儀を準備してやることが出来ました。
所属事務所を辞めた今、誰に遠慮することなくのびのびと準備出来た一日は、とても濃いものとなりました。

勿論、私が一人で出来る訳ではありません。家族のご理解と、葬儀場スタッフの皆さんといつも密着取材でお世話になっていた福島中央テレビの方々のご協力で、盛大に通夜式が営まれ、多くの皆様に起こし頂き、ライブ一日目を無事終えることが出来ました。


本日はライブ二日目となります。
11時からの告別式にては、丸山夏鈴が自らトップを飾らせていただきます。
ラストステージになりますので、夏鈴党の皆様におかれましては、手拍子や声援なども夏鈴が喜びますので、沢山の方にご来場して応援して頂き、夏鈴を送り出してほしいと思います。

本日も総合プロデューサーを務めさせて頂きますので、至らない点もあるかと思いますが、丸山夏鈴に免じてお許し願います。

それでは会場でお待ちしております。