今日は、阪神淡路大震災から17年。
私は阪神淡路大震災を尼崎市南部のマンションで経験いたしました。
実家は崩壊まではいきませんでしたが、風呂場にヒビが入り、芦屋市の叔父さんが頭に怪我をした程度でした。
震災が起こってすぐ、頭がいい母は湯船に水を思いっきりためていました。
尼崎市の水道はすぐに復旧しましたが、親戚がいる芦屋市は断水状態だという。
父のトラックにあるタンクに水を入れて持って行きましたところ、ポリバケツなどを持った人達が集まってきたそうです。市の給水車と思ったのでしょう。
あげないわけにはいきません。
瓦礫の中を何回も往復した両親。困っている人をほおっておけないですよね。
震災を経験した者として、神戸の知り合いを亡くした者として、震災が起こった1月17日は黙祷しています。
今日は5時に起きて黙祷しました。
夫は当時オランダに住んでいましたので経験しておりませんが、
新潟県中越沖地震をテレビで見た時に、阪神淡路大震災の話をじっくりしました。
経験した者しかわからないことでも、いつまた地震が起こるかわからない。伝えておくことは大事だと思ったのです。
新潟県中越沖地震では、私が宮城県に住んでいた時に一番仲が良かった友達が未だに行方不明です。
次の年から年賀状がピタリと来なくなり、捜していますが見つかりません。
津波の被害があった場所です。今でも無事を願ってます。
新潟県中越沖地震で被害にあった人達に
出来る限りのことをしようかと夫婦で話し合い、
毛布や日用品を大阪市に頼んで震災地に送らせていただきました。
今でも使ってくれていたらどんなに嬉しいことかと、夫婦で話しています。
個々の力は小さくても、巨大な援助につながる!そう思っています。
書いているだけなのに、涙が出ます。
我慢強い私なのに、なぜだろう?(苦笑)