2024年5月17日
昨日の、信毎データベースで確認した記事を、原田雅彦伝記に入れ込む。
97年3月1日、世界ノルディック選手権ラージヒル。
アプローチのスピードが出ないようゲートが45cm下げられて再スタートとなった。
それでも、34番、日本人で最初に登場した原田の1回目は124mだった。
落ち着いた表情で滑り出し、いつものように高い踏み切り、そして微動だにしないすばらしい空中姿勢で着地した。
飛型点も19.5がずらっと並ぶ。2人の審判は20点満点をつけている。
ノーマルヒルはテレマークで負けた。ここを修正してきたのだ。
ゴーグルをはずした表情には笑顔もガッツポーズもなかった。
冷静に得点を確認し、自分のジャンプに納得したかのようにひとつ、うなずいた。
1回目と全く同じ。自信を持って、自分のジャンプをするだけ。
そして、その期待どおり距離を伸ばしてきた。128mの最長不倒。これはさすがにテレマークが入らない。
それでも十分、おつりがくるような記録を見て、突き上げるようにガッツポーズ。
天を仰ぎみて顔を両手で覆って、そのまま後ろに倒れこんだ。
全日本チームのバイツコーチ、小野コーチ、菅野コーチが、
スローモーションのようにコーチボックスから滑り落ちてくる。尻滑りというらしい。
原田のもとにたどり着いた彼らは、抱き合い、原田を肩車して子どものようにはしゃいだ。
表彰式、台の真ん中に立った原田は黄色いキャップにさらさらロングヘアー、そして満面の笑顔がとても素敵だった。
テレビの前でめちゃめちゃ拍手した。いっしょに大騒ぎして、涙が止まらなかった。
なんでわたしはこの場にいないのだろうと悔やんだ。
翌日の新聞記事です。
「やったー、ありがとうございました。(2回目は)開き直りだけ、自分のジャンプができた。
今日は風も問題なく、K点と大きく超えることだけを考えていた。
2回目を踏み切った瞬間、勝ったと思った。これで日本のジャンプは勢いづくと思う。」
ほかの新聞も全部見てチェックした。これがファンの幸せ、勝利後の醍醐味である。
「ファン冥利に尽きる」幸せな経験をした。
何の、心配もなく、心行くまで勝利の美酒を味わった瞬間だった。
今でも、これを思い出すだけで、幸せになれる。
図書館で調べなくても、うちにスクラップしてありました。
信毎データベースはモノクロで、写真も不鮮明なのがちょっと悲しい。