2024年4月23日
鎖国を解いて、明治時代、日本に油絵というものが入ってきた黎明期、
多くの画家がヨーロッパに学びました。
そこで、世界に通用するまでになったのは、藤田嗣治だけだったように思いますが、
敗戦した日本は、藤田に冷たい仕打ち、戦犯という烙印を押し、責任を押し付けようとした。
だからフジタはフランスに帰化して、二度と日本には戻らなかった。
そこまでこじれる前に、藤田嗣治の美術館を日本に作ろうとした人物がいました。
秋田の平田政吉です。
資産家の三代目、新しもの好き、美術コレクターとしても知られた存在だった。
藤田との約束で、秋田に美術館をつくる。そして藤田は、大壁画を完成させる。
そんなエピソードを持つ、「秋田の行事」を見るために秋田県立美術館にやってきました。
この壁画が完成したのは1937年(昭和12年)です。
美術館は、フジタが亡くなる1年前、1967年「平田政吉美術館」として秋田に開館する。
そっちから、こっちの新しい美術館に移るにはすったもんだがあったみたいですが・・・
建物竣工は平成24年、開館は1年後?2012年。
意外にも、設計は安藤忠雄です。
いざ、参る!