もう、すべてをキャンセルしてやり直してほしかった。

見ている方も厳しい状況で、どこにも屋根がなく逃げ場がなかった。

もう今日はやめてくれと思った。

でも、このときは知らなかったが、実はルール上、1回だけでも競技は成立した。

これで終わってしまったら、日本は4位確定でメダルなしという最悪の結果になっていたのだった。

 

日本チームの窮地を救ったのは、テストジャンパーたちだった。

これはずいぶん後になって知らされた彼らのすばらしい戦いである。


競技は2回目が途中でキャンセルになって、天候の様子を見るために20分ほど中断していた。

雪は少しおさまりかけたように見えたが、すでに雪が降り積もっていて、

台のコンディションはよくなったとは言えなかった。

奇しくも審判団、ジュリーメンバーは現在1・2・3位のドイツ、オーストリア、ノルウェーと4位の日本だった。

だから、日本以外の3人は、このまま終わらせた方がよかった。

ただ、安易に中止を決めて、日本が4位のまま終わらせてしまったら、

会場いっぱいに集まった観客が納得しない雰囲気だった。


ジュリーはテストジャンプの状況によって安全に競技が続行できるか判断することにした。

テストジャンパーの中には西方仁也がいた。

彼はワールドカップで表彰台に立つほどの実力がある。

西方が、K点を超えるほどの大ジャンプができればコンディションはOK、競技2回目を続行すると決めた。

 

彼らは一丸となって頑張った。

日本チームのメダルのために。

助走路に雪が積もってしまうとスピードが落ちて距離が出ない。

ランディングバーンも荒れて着地が難しくなる。

原田が79.5mしか飛べなかった状況である。

リーダーの西方は、雪が積もらないように間隔をあけずに次々と飛ぶように指示した。


「飛距離が出るって証明しろ。テレマークはいらないから、飛距離を稼げ!」
「準備を早くして、次々に行くぞ。助走路の溝を守れ!」


全員が転ばずにしっかりと飛び、最後は西方の出番となった。

西方が大ジャンプをしたら競技再開という条件は本人には知らされていなかったという。

そこで彼が出した距離は123m、K点越えの完璧なジャンプだった。

 

でも、ヒロミは彼らの活躍を覚えていない。

このエピソードは数年後のテレビや複数のメディアで「感動の秘話」として明かされたものだ。

地元の大会だから日本のためにがんばったなどという単純な気持ちで割り切れるものではないとヒロミは思う。

だが、西方は自分の任務をやり遂げた。