2008/8/8

もう暑くってへろへろよ。日傘の価値あるんだろか。湯島から、洋館のようなラブホ街を抜けて、なんか細い裏道を行く。すると岩崎邸。三菱財閥の本家。ということで、すんごい立派。

つくったひと、ジョサイア・コンドル。鹿鳴館もつくったひと。やっぱり日本人とは違うのかなあ。日本びいきのイギリス人、ヨーロッパびいきの日本人、どっちがヨーロッパか?っていえば、答えはわかる。しかし、きっと、お金のかけ方も半端じゃないってことよ。装飾の細かさ、材料の豪勢さ、いままでに見た洋館を圧倒しているよね。

中央に、もこっとしたドーム型の塔を持ち、両翼に広がる。窓は縦長の上げ下げ窓、それぞれに三角のペディエントがつく。そうはいっても左右対称じゃなくって、右側が少し長い。木造ですって。中にはいると茶色のハイパネルと呼ばれる木の板を貼った仕上げ。もちろん入念な装飾が。階段の親柱も植物!というか、なんとなく皮がむけそうな、球根系の表現。入って左は六角形の部屋。でもこれを八角形に見せているのだそうだ。

ボランティアのひと?が熱心に説明してくれた。当時はイスラムの様式をどこかに取り入れるのがはやりで、八角形は、その影響だという。そういえば、去年行った小笠原邸にもあったよね?なんか多角形の部屋に、イスラム模様だった・・・?その奥はサンルームのように、大きくガラスの面をとったベランダのようなところ。そこから広大な庭が開けていて、芝生がきれい。

2階は、八角形の部屋がお姫様の部屋?のように、ピンクで統一されていてかわいかった。それから、窓ガラスは、当時まだ日本では平らなガラスを作る技術がなくて、ほとんど輸入だった。それでも今のつるつるとは違ってゆがんでいる。そのように教えてもらった。それがまだ残っているってすごいよね。ステンドグラスははめてなくて、はっているんですって。厚さがあわないから。いろいろ苦労あるんだね。

 

しかし豪華。庭に出ると、庭面は一面の総2階建てベランダで、柱が並ぶ。この感じは、三重にあった諸戸邸に近い。って同じ人が作ったんだものね。別棟の平屋の建物は撞球室、という。ビリヤードです。おしゃれよ~。これって地下で繋がっていたりして、と話していたら、ヒロミと同じようなマニアな感じの青年が、繋がっているんですよ、と教えてくれた。ううーん、明治29年なんだけど。すげーね。

さて、ここから東京までどのように行くか?もよりのJRは上野。取りあえず歩く。暑い~。ヒロミにはまだスイカ問題も残っている。上野の駅にいた若そうな駅員に説明したけど、改札で言ってください、と冷たくされた。また説明するのお~?でもこんどの人はちゃんとわかってくれて、じゃあ鎌倉までですね?と精算かけてくれた。ありがとう。これで幸せよ。

しかし。新幹線ホームに入ろうとしたら、バーに阻まれた。乗車券で入場していないから。うううう。

 

まあいいか。とにかく帰って来れた。超ハードな洋館づくしの旅。楽しかったよ!ブライアン!と言いたいとこですが。