お久しぶりです!
すっかり月1更新になってしまって
ますが、書く気はちゃんとあるので
読書さま、ご安心を!(笑)

実は、
この度就労移行のスタッフさんにも
このブログを公開する事になりました。
なので、過去の記事を整理させて
頂きました。

私がこのブログで書きたいのは、
発達障がいであり、精神疾患も
ありますがその中でどうやって
社会復帰を目指していこうかという
話なので、本格的にそれを書き始めた
いわゆるブログ放置からの復活後から
公開することにしました。

ただ、放置前に書いた
発達障がいの記事だけは今の記事とも
繋がっているので残しました。

という感じですが、
今後もよろしくお願いします(*^U^*)

日常の話もおりまぜようかなぁとは
思ってるんですが、
わりと毎日同じリズムなので
特別書きたいことがなくて。
でも、書くかもしれません。
気まぐれな感じですが!

ちゃんちゃん♪
こんばんわ。
沖縄は、もう11月だというのに
気温が
27度とか28度とかで未だに半そでですw
衣替えをするタイミングが
分かりません(笑)

それはともかく、
今日は診察の日だったので
午前中の作業を終えてから病院へ。

ハローワークで、障がい者枠で
働く為の主治医の意見書が
必要だったのと、
週5日で働けるようになる為に
デイケアを卒業しても
大丈夫かどうかの相談をしに、
またスタッフさんも同行で
行ってきました!

私は、上手く物事を口で伝えられない
ので、訓練所でスタッフさんと
先生に話したいことをメモに書いて
GO~!

メモがあればね。
なんとか説明出来るのですよ。

それで、まずハロワの話から
切り出したんですが
先生が
「 意見書ね。それ毎回思うんだけど
医者が書くべきじゃないと思うん
だよね。
だって、働いてる様子は
訓練所の方の方が分かるじゃないですか。
だから、病名とかは書くけど
希望労働時間とか、苦手なこととかは
下書きでいいので、そっちで
書いて下さい 」
ってさ。

えーΣ(゚ロ゚;)
まさかの展開w

あと、デイケアを卒業する話は
どうやら事前に、デイケアの
私の担当のスタッフさんが
先生に話しておいてくれたようで
スムーズに、オッケー貰えました♪

そんなわけで、
私は、今月いっぱいで
デイケアを卒業することを
担当スタッフさんに報告に。
訓練所のスタッフさんは、
病院のカフェで意見書に下書きを
って感じで分かれて行動。

デイケアの方の担当スタッフさんは、
私がデイケアに来始めた頃から
今までずっとお世話になった方
なんですが、
「美夕さん、デイケアに初めて来た
頃は本当に心配だったけど
凄く変わったよね。元気になったね。
来なくなるのは寂しくなるけど
嬉しいよ。
もし、ちゃんと就職出来たら
一度またデイケアに顔出して?

みんなにも、デイケアに通ってても
そこから這い上がって働けるように
なるかもしれないって希望を
どうか与えてあげて。 」
って言われました(ノェ・、`)

私が這い上がってこれたのは、
やっぱり担当のスタッフさんの
温かい見守りや家族の支えや
今の訓練所のスタッフさんの
支えのおかげです。
それは、絶対忘れちゃいけない。

そっか。
私が、私なんかが、
みんなの希望になれるかもしれないんだ。
だったら、やっぱり頑張らないとね。
いつか、私にも出来たんだから
みんなにもきっと出来るよ!って
伝えられるように。 

デイケアの担当さんに、
今月最後の月曜日にまた来ますって
伝えて、カフェで待つ訓練所の
スタッフさんの元へ。

下書きを見せて貰ったのですが、
色々書いてくれてました。
やっぱり、計算の事は
外せないよね~!なんて
言いながら、2人でお茶しながら
制作しました。
色々話し合いながら、
納得出来るものが出来たので
受付に提出!

意見書は、10日ほどで
出来るようです。
お金はやっぱりかかるけどね。

12月から週5日頑張るぞ~!
スタッフさんには、
焦らずね!って言われました(笑)
はい、焦らずサボらず頑張ります。

そんなわけで、
また一歩前進したかな?
でもこれからが踏ん張りどころ!
うん、負けない(`_´)ゞ



火曜日に、お母さんと
スタッフさん二人と私で
就活について話し合うという
面談がありました。

今回は、自分の気持ちより
障がいを持つ子を持った
お母さんの気持ちについて
書きたいと思います。

私が精神病を発病したのは、
高校生の頃。
( ちなみに今32歳です。)
幻聴とお母さんとのすれ違いによる
ストレスからのリストカットでした。
もうその頃から、
お互い分からなかっただけで
当たり前のことが出来ない
発達障害という病気が隠れていた
わけです。

面談で、お母さんが
「 この子が発達障害だって解るまで
本当に苦しかったし、
何より何故責められるのか、
出来ない事を強いられるのか
分からないこの子を何より苦しめて
しまった。

ただ、普通の子のように
青春時代を楽しんで欲しかった、
それだけなのに、
それが上手くいかなくて、
何故なのか分からなくて、
本当に苦しかった。」
と明かしてくれた。

私は…考えただろうか。
障がいを持つ子供の親の気持ちを。
少しでも。。
言い訳をするのなら、
そんな余裕はなかった。
20歳で死のうと思ってた。
兄弟と同じことが出来ない自分。
それを責められ、常に何かに
追い回されてるような感覚。
未来に、希望なんてなかった。

でも、それは全部
私の事を責める母のせいだと。
母が私を病気にしたんだと。
ただただ、心の中でずっと
責めていた。悪者にしていた。 
だって、何かを責めたら、
少し楽になるじゃない。
人間って。

母は、ただ私の幸せを必死に
願っていたんだ。
だから、当たり前の事が出来なくて
その事で将来、社会から外れて
しまわぬように、ただ必死に
守ろうとしたんだ。

そんな事に、やっと気づけた。 
発達障害が私の全てを狂わせていたと
気づいた時、
ショックを受けたのは
自分だけじゃない。
お母さんも、
そうだったんだよね。

嗚呼、だからだったんだ。
だから出来なかったし、
これからもこの子は出来ないんだ。
そういう子なんだ。
そう思えるまでの、お母さんの葛藤。

努力すれば出来るんじゃないかと
思っていた算数も、
本当は指を使わないと数も上手く
数えられない。
小学1年生の算数ドリルすら
解けない。
万単位を超えると数を数えられない。

そんな話をしたら、
スタッフさんが
「残念ですが、これが美夕さんの
病気です。努力で埋める事が
出来ない部分です。」と話してくれた。

障がいを理解してからも、
「  この子は、見た目は普通なのに
少し注意力が足りないんです。
二つの事をいっぺんには
出来ないんです。
一気にたくさんの事を指示すると
混乱してしまいます。

新しい職場で、テレビで見るような
障がい者へのいじめがあるような
ところには通わせたくないです。
嫌がらせを受けたら、
この子は繊細な子だから、
なぜ嫌がらせを受けるのか解らず
きっと、とても傷つきます。 」

涙が出そうでした。
私は、お母さんが私をとても
傷つけたと思う気持ちより
もっと酷いことをたくさん、
たくさん、言いました。

責められるたび、
否定されるたび、
「 なら、私なんか産まなきゃ
良かったじゃない! 」と。

障がいを持つ子どもの
お母さんの気持ち。
きっと、本人と同じくらい複雑で、
苦しいですよね。
心配ですよね。

そして、私たち親子は
互いに障がいに向き合う事が
出来ましたが、
未だにそれが出来ずに苦しんでいる
親子さん、
きっとたくさんいますよね。

何かのきっかけがないと、
難しいのかもしれません。
私だって、こうしてスタッフさんが
時間を作ってくれなければ、
お母さんの気持ちを知る事は
たぶん出来ませんでした。

お母さんの心配に対し、
スタッフさんは
「大丈夫ですよ。
就職してからも、何度か就職先に
訪問して様子を見守るように
しているので、お母さんが心配される
ような職場ではないかどうか
きちんと見させて貰いますから。」
と。

スタッフさんの目線では、
算数を除けば、出来る事はたくさん
あるし、今の訓練所でも
しっかりやれていますと
良い評価を貰えました。

それを聞いて、
お母さんも安心してくれました。

これからは、月曜日のデイケアを
訓練所に行く為に卒業して、
週5で働く為の準備をしていく
事になりました。

私は、20歳で命を断たなくて
良かった。
未来に、希望を持てるように
なれて良かった。
何より、ずっと愛されていないんだと
思い込んでいたお母さんに、
こんなにも愛されていたんだと
気付けて、本当に良かった。

だから、
これからも前を向いて
立ち向かっていこうと思う。
背中を支えてくれている人たちが
いることを、忘れないように。

いつか、その人達が手を離しても、
ひとりでちゃんと歩き出せるように。

お母さん、
ありがとう。
私は、きっと大丈夫。
大丈夫です。