前回、「ゆるそう」と呼びかけた私ですが、
正直に言うと。。私はまだ、強烈に“ゆるせない”気持ちが湧いてきました。
夜中に、悪夢でうなされてしまうほど。。
「親をゆるせない」
「あの人をゆるせない」
「土下座されてもゆるさない」
「一生ゆるさない」
そんな黒い感情が、胸の奥でふつふつと渦巻く。
でも、ある日ふと気づいたのです。
私は、私をいちばん許していなかった。
ゆるせないの正体は“相手”ではなく、自分だった
私はこんなふうに気づきました。
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「母を許せない」
=「こんな母を選んで生まれてきた自分を許せない」
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「夫をゆるせない」
=「夫を選んだ自分をゆるせない」
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「騙した人をゆるせない」
=「騙されるほど未熟だった自分を許せない」
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「バカにした人をゆるせない」
=「バカにされてしまった自分を許せない」
結局のところ、
私はずっと “自分に矢を向けていた” のです。
相手を恨んでいるつもりで、
自分を刺し続けていただけ。
なぜ“自分を責める”という形になるのか
たとえば、
虐待を受けた子どもが「悪いのは自分だ」と思ってしまうように、
人はあまりに苦しい現実の前で、こう判断します。
「相手が悪い」より
「自分が悪い」ほうが、生きられる。
だから、自分を責める。
自分を罰する。
自分を最低だと思うほうに逃げる。
私もずっとそうして生きていました。
“情けは、人のためならず” の本当の意味
「情けは相手のためじゃなくて、自分のため」
よく聞く言葉だけれど、これは情け”ゆるし”に変えても
同じことがいえると、今なら心からわかります。
ゆるしとは、
相手を正当化することではない。
なかったことにすることでもない。
ゆるしとは――
あの時の自分を、責めるのをやめること。
過去の自分の手を
もう一度そっと取り直すこと。
あの時の私に、
「大丈夫だよ~」
「よく生きてくれたね」と言ってあげること。
ゆるしとは、
自分を冷たい牢屋から解放する行為 なのです。
私は、私をゆるすという“ほんとうのスタート”に立った
ゆるせない気持ちがあっていい。
怒りがあっていい。
黒い感情があってもいい。
ただひとつだけ。
“自分を責め続けるのは、もう終わりにしていい”
そう気づいた瞬間、
心のスペースがふっと広がりました。
ゆるしは、完璧じゃなくていい。
一気に100%じゃなくていい。
ただ、
“私を罰するクセ” を少しずつ手放すこと。
それが、私にとっての
本当のゆるしのはじまり です。
それは、絶対に、あなたにとっても。