こんにちは!!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今日は「これが常識でしょ!?」

と過剰に意識していたころの私のお話でも

書こうかと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

前にもブログで書いたんですが

私は小学校時代に「空気読めよ」と同級生に言われてから

ずっと空気をひたすら読むことを意識していました。

 

 

 

自分が注意されたり

他者の意見などをもとに自分の中で常識が何なのかを

考え続けた結果

 

人に自分の常識を押し付けるようになってったんですね。笑

 

 

 

 

 

 

だから人が自分の意に反する行為をしてる時点で

その人とは距離を置くようにしてたんですね。笑

 

 

 

 

 

 

でもそれでいいと思っていたけど

ある日気づく

「常識って所属するグループによってちがうの?」って

 

 

 

 

 

 

 

あんなにも一生懸命に守ろうとしていた常識が

はかなく散った瞬間でした。笑

 

 

 

 

 

 

 

 

私がやってきたことって

いろんな集団から集めた常識を

一緒くたにしていたに過ぎなかったんだなと。笑

 

 

 

 

 

 

 

そこからは他者に徐々に寛容になっていきましたとさ。

めでたしめでたし。笑

 

 

 

 

 

 

 

まあこの性格のおかげで

・視野が広がった。

・ある程度の空気は読めるようになった。

・人によって当たり前が違うということに気づいた。

・小学校の時のあいつはなんだったんだ。と笑い話にできるようになった。笑

・常識につなげずに人の色眼鏡を楽しめるようになった

 

 

 

 

 

たまーにどうしても許せないことがあると

頭痛がすることもありますけどね。笑

 

 

 

 

 

 

 

まあ、そういうこともあるよねって思ってます。笑

だから結構人間関係でのストレスは激減しましたね。

 

 

 

 

 

 

そう、自分の中での「当たり前」と思うものほど

あてにならない!!!!!!!

 

 

 

 

 

 

 

自分の中の軸として持つのはいいと思うけど

他者に押し付けることはいかがなものかと私は思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

他者に押し付けるんではなくて

他者自身の価値観を尊重してあげる。

 

 

 

 

 

 

そこでその方の目標の妨げになる思考があれば

それを指摘してみるということを

最近では練習しています。

 

 

 

 

 

 

 

ここで言いたいことは

 

・人間関係のストレスを和らげるには当たり前を減らすこと。

・相手の価値観も大事にすること。

・なんで自分は・・・と思うことがあっても必ず得ているものはあるということ。

 

 

 

 

 

 

自分の意見が正しい時

複数派の意見となったとき

人はとてつもなく攻撃的になるそうです(中野信子著より)

人間の脳の機能の一つだとしても

これを知っていれば防げることでもありますよね。

 

 

 

 

 

 

これがいじめにもつながってくるんだと思います。

自分の意見が例え正しくても

人を攻撃してもいい理由には

なりませんよね( ˘ω˘ )

 

 

 

 

 

うーん、人間って奥深いなあ。

 

 

 

 

 

 

それでは!!