今日は、人生の最期について考えさせられる一日でした。



今から5年7ヶ月前に、とても大切な人が亡くなりました。

私にとってもお父さん、父にとってもお父さん。

私は、いつも「おいちゃん」と呼んでいました。


葬儀以来、一度焼香に行ったきり行く勇気が今までありませんでした。

現実を受け止められないというか、認めたくないというか・・・



たまたま、今の職場のメンバーさんの旦那さんが、おいちゃんに可愛がってもらっていたみたいで、おいちゃんの話で盛り上がり、そろそろおいちゃんに報告をしに行かないとと思いました。


何年ぶりかのおいちゃんの家。奥さんの「おばちゃん」が笑顔で出迎えてくれました。



先ずはお饅頭をおいちゃんにと思って、仏間に行ってお焼香を。

おいちゃんの笑顔の遺影を見ると涙が・・・


涙を拭って悟られないようおばちゃんのところに戻りました。

色々と積もり積もった話や、そのメンバーさんの旦那さんの話やらと盛り上がり、おいちゃんの最期の時の話を聞きました。



おいちゃんは、騙されても、決して人を騙さない。

傷つけられても、裏切られても、決して傷つけない裏切らない、

真っ直ぐでとても尊敬のできる人。


おいちゃんらしい最期を迎えた話を聞いて、涙を堪えるのに必死でした。

間際まで苦しむ事も無く、意識が無くなりかけても、最後に娘が到着するまで心臓を動かして

「着いたよ、安心してゆっくり休んで」

「おう!」

その言葉を最期に息を引き取ったと。

「あぁ、さすがおいちゃん。おいちゃんの人生って最期まで幸せだったんだな」って。


今まで人に対しての行いが、こういう形できちんと返ってきたんだと思うと、

改めて、おいちゃんから教わりました。


馬鹿ばかりやってきた私だけど、

私も、自分の最期の時はおいちゃんのように人から惜しまれるような人になりたい。



おいちゃん、


私はいつもおいちゃんに怒られながらも、たくさんの事を教わってきました。

おいちゃんから学んだ事を無駄にしないよう、これからも日々精進して生きて行くからね!

私が間違った道を行かないように、きっとみんなが導いてくれるから安心してね。


おいちゃんに出会えて、私はたくさんの想い出を頂きました。

ありがとうございました。



私の父親はとんでもない人。




娘の人生を自分のプライドや体裁の為に、利用するとんでもない人です。


「私には私の人生があるのだから。」

「お前の人生も大事だけど、ホテルの事も考えてくれ。



私の人生は私以外に誰が決めるのさ~




私の何度も拒否する発言を他所に、今回は勝手に異国の地に娘を売りやがった。


ほんと、この親は私が自殺でもしない限り、解らないないだろうな~。





私もこの世に未練なんてものは無いけれども、もう少し自由に生きさせて欲しかったよ。





とりあえず母親には、今まで育ててくれてありがとう。

妹よ、駄目なお姉ちゃんでごめんね。

私も普通に幸せな生活送りたかった。






もうさよならだわ。






「母親」



というものの強さを最近よく感じる。

自分の母親も含めてであるけれども、友達を見ていてもよく感じる。


「守る」

者のある人の

「心」

は強いな~って。



同じ女性でも全く違う。



最近昼ドラで、妊娠と中絶のドラマをやっていて、いろいろと考えさせられるものがあった。


そして昨日、ずっと卵巣が痛かったので、産婦人科に行ってきた。

以前卵巣のう腫の手術をしていたので、心配だったから。

結果は、卵巣に血液が溜まっていて今4cmまで大きくなっているから、他の神経を圧迫して痛みがでているみたい。とりあえず強い痛み止めをもらって、癌検査をしてもらった。

今までに無い事だけに、自分の女性としての体の衰えを感じてしまった。

出産をしていないリスクの大きさも改めて考えさせられた。ガクリ(黒背景用)





旅館業をやっていたけど、一緒に働いていた人の9割以上が50歳以上の女性。

特にこういった仕事は、未婚や子供の居ない人が大半だった。


ただ子供の居る人居ない人、独身の人で意外と共通性がある。


それが「心の強さ」だと思う。



よく女性の仕事は子供を産む事だというけど、最初は偏見だったり差別だとか思っていたけど、その経験が有るや否やで違った女性が出来あがっていくものだな~と感じる。


女性らしい丸みのある「体」とは「身体」という意味でもある。

結婚、出産と経験を得ることで、少しずつ角が取れ、打たれ強い「体と心」そして優しい「心」ができあがっていくものだと感じる。


最近の会話の一つに、独身女性の人の事で


「更年期なんやろうか?周りからみたら大した事でもないのに、こだわっている。ピリピリしている。トゲトゲしている。」ととても聞いていて耳が痛くなる会話を耳にした。汗


いとうあさこの「最近なんだかイライラする。30過ぎたぐらいからイライラする。」という台詞を思い出した。

私も実は・・・イライラするキャハハ



今は私自身、30台半ばだけど、年が明ければアラサーからアラフォー世代に突入。

まだ結婚も、出産もしていない私もやはり、気をつけなければいけない。


自分は変わって無いと思っていても、周りが感じるものというものがある。


自分は一人でも大丈夫だという不安を隠す思いが、きっと表に出るのは「強さ」ではなく「弱さ」の表れで、人に虚勢を張るような形で出てしまうのだろうな~と思う今日この頃です。



私も気をつけなきゃブタさん


だけど諦めたら元もこもない。

34歳も残りわずか。


家系の寿命で考えれば半分を迎える事となる。

お祖母ちゃんが比較的長生きして73歳だった。そのぐらい我が家の家系で考えると短命家系である。


人生の半分を振り返ったとして考えてみて、私の人生はどうだったか。






幸せ


でした。



間違いなく言い切れる。




いろいろな事はあったけど、間違いなく幸せでした。


何よりも大切な事は人との出会いです。


幼稚園から一緒のようたん。

中学から一緒の美樹ちゃん。仕事も7年一緒。

高校から一緒の、のりこ、なみちゃん、ちかぶん、がばじ、ほっしー、

大学から一緒の、かずお、なな、淳子、さち、

ミクシーがきっかけの、はちさん、たからちゃん、けぇこ、

留学中のクラスメイト、ミキビー、ジューヤン、ルシアナ。


たくさんの人に出会い助けられました。



これ以上の幸せはきっとありません。




付き合いの長さではありませんが、長い分全てを知り尽くされているというか。





人間関係もいろいろ山あり谷ありですが、支えてもらえて幸せです。



何よりも、人間関係においては諦めなかった。

長く付き合えば、いろいろとある。嫌な事も勿論ある。

だけど、人との出会いは「縁」

出会えたということは、意味のあることである。

物は捨ててもお金で買えるが、人との縁はお金では買えない。


だからこれだけは諦めるわけにはいかない。

人の気持ちに正しいも間違いもない。


「理解」


ただそれだけである。

それができなければ、友達を作る資格なんてものはない。


自分の頭の中にそれだけは入れていた。


どんなに時間をかけても、諦めてはいけないのが、人との「」であると思う。


自分の人生半分をかけて得たものは、



何より、私の大切な宝物宝です。




私の人生の半分は、

間違いなく


100パーセント



の人生でしたキャハハ





おしまい








友達との再会、そして自分の趣味(旅行)、に費やした1ヶ月でした。


ロンドンに居た頃の友人がやってきて、一緒に山口旅行。

久しぶりなのにそんな感じがしないのが不思議。


られた時間を共に過ごした友達だからかしら?


そんな友人からも同じような内容のメールが届きました。

(やっぱ、お互い思うことは一緒なのね!)


とにかく楽しい時間を過ごせました。



まあ、楽しい時間を過ごせば・・・




金欠叫び


遊んだだけではないけど病院の検査代やらなんやらで、残り10日もあるのに、すっからかんでした。

(ここの病院でも、17年ぶりの友人に再会ラブラブ!結婚するとみんな居所がなかなかつかめなくなる。)


そして先月まで一緒に働いていた人の、送別会と言う名の外食さえ出来ない始末。

きつくて、大変な時に居てくれてとても助かったし、彼女のお陰で乗り越えれた。

いつも最終日はみんなでご飯を食べに行っていたりしたけど、今回はどうにもこうにもお金が無い。

前日も妹のお見舞いと大学時代の友人と1年ぶりの食事だったりで、

私の胃袋はパンパンなのに財布はペラペラ



とういう事で、行かないわけにはいかないので急遽、金欠な私の考案で我が家でお食事。

初の我が家とこいものお披露目でした。猫kitty*好きな彼女の為に、見せると約束したけど時間が無くて見せられなかったから、やっと見せる約束が果たせた♪*



ケンタッキーと簡単な手料理でおもてなし。このぐらいの事しかできなくて、


ごめんよ~うう


肝心なときに駄目なわたくしです。



反省


今度帰って来た時は、必ずお金を残しておくから今回は許してチョしょぼん



まあ、そんなこんなでこの1ヶ月は時間にお金を費やし過ぎました。

その代わり、この一週間は食事も全て手料理。


お陰で胃の調子もかなり良くはなってきた。



とにかく、お金に苦しい1ヶ月でしたが、とても楽しい時間を過ごせたとさにこ




おしまい