cheeseです💕

 

 

 

長崎⚓️にきとりますですよ☺️

 

 

 

市電の最終駅をおりて

てくてく坂道をのぼって

やってきましたのは・・・

 

 

 

聖母の騎士修道院✨

 

・・・のなかにあります

 

聖コルベ記念館✨ 

コルベ神父、会いにきましたよ✨

 

 

 

マキシミリアノ・マリア・コルベ

(1894年1月8日ー1941年8月14日)

 

ポーランドのカトリック司祭。

アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所で

餓死刑に選ばれた男性の身代わりになったことで知られる。

ローマ教皇庁は1971年10月17日にコルベ神父を「福者」、

1982年10月10日に栄誉ある「聖者」の列にくわえ

彼の遺徳を讃えている。

 

コルベ神父は

1930年4月からおよそ6年間

長崎で布教活動をなさってました。

 

 

cheeseがコルベ神父を知ったのは、高校生のころ。

遠藤周作の『女の一生・第二部サチ子の場合』を読んだことがきっかけです。

 

 

当時、お小遣いを貯めては親に内緒で長崎まで日帰りし

コルベ神父や教会関連の書籍を購入してたわたくし。

大学進学が決まり下宿を決める際も

コルベ神父の本を携えていたことを覚えています☺️

 

 

あれから30年あまり。

コルベ神父に再会する日がやってまいりました。

 

 

⛪️⛪️⛪️

 

 

記念館には彼の遺品をはじめ当時の資料が展示されています。

 

祭服

 

ミサ典礼書

 

帽子

 

日記帳

 

遺髪

 

ナチスが発行した死亡証明書(写)

 

 

1971年バチカンでおこなわれたコルベ神父列福式の写真

 

 

コルベ神父の人となりが伝わる史料ばかり。

 

 

なかでも心に残ったのは

永井隆博士がコルベ神父についてお書きになった文章。

 

 

永井博士は長崎大学医学部に勤務したお医者さまです。

1945年8月9日爆心地から700mの長崎大学で被爆。妻は死亡。

重傷をおいながら被爆者の救援医療につくした永井博士でしたが

2人の子どもをのこし43歳の若さでこの世を去ります。

 

皆さまのなかには

永井博士がお書きになった

『長崎の鐘』『この子を残して』などの作品を

読まれた方もいらっしゃるかもしれません。

 

(如己堂にて。下は子どもさんたちと博士。いずれも聖コルベ記念館所蔵)

 

 

永井博士が敬虔なクリスチャンであられたことは

存じ上げていましたが

まさか博士とコルベ神父に交流があったとは😳

 

 

やがて来る戦争によって

ふたりのうちひとりはナチスの強制収容所で

もうひとりは原爆によっていのちをおとすことになると

誰が予想したことでしょう。

 

 

複雑な思いで史料をみつめたことでした。

 

                       (つづく)

 

 

お読みくださってありがとう。

聖コルベ記念館から

たくさんの愛と感謝をおくります。

 

                 cheese