cheeseです💕

 

 

 

今回ご紹介するのは

こちらの一冊📘

(ジュディス・シュクラー『不正義とは何か』岩波書店、2023年)

 

⭐️ジュディス・シュクラー(1928-1992)は生前ハーバード大学教授をつとめていました。

 本書は1988年にイェール大学でおこなわれた講義をもとに執筆されたものです。

 

 

タイトルが気になり購入。

どんな内容なのかな???🤔

 

 

🌸🌸🌸

 

「正義」について語る本は多々あれど

「不正義」について語ったものってあまりみかけませんね。

 

 

シュクラーは

従来のように

不正義を「正義ではないもの」と考えるだけでは不十分ではないか

と考え、不正義を再定義します。

 

 

そのうえで

「不正義」がいまの社会で容認されている現状を明らかにし

私たちが抱く「不正義への感覚」を大切にすることこそが

民主主義社会に必要とされていると説きます。

 

 

たとえば、次のようなこと。

 

 

親の虐待で幼い命が奪われる事件がおきた際、

あとから

「その家庭にはずっと前から児童相談所をはじめとする

複数の専門機関が関わっていた」

ということが明らかになるときがありますね。

 

私たちは事件の傷ましさに心を痛めると同時に

「なぜ多くの専門機関が関わっていたにもかかわらず、事件は防げなかったのか」

という疑問を抱くことでしょう。

 

ところが関わった専門機関は、

それぞれ定められた法律のなかで精一杯やっていたとしたらどうでしょうか。

 

もしくは、現場ではこのような事件が起きる可能性を危惧し

国に法律改正を強くもとめていたにもかかわらず、

何年間も後回しにされていたとしたら。

 

ここで立ち上がってくるのが著者のいうところの「不正義」の問題です。

 

「たとえ法的条件はクリアしていたとしても

被害者がいる以上は

行政機関における『不正義』が存在したことは否定できない」

と著者は考えます。

 

 

同時に著者は、上記のような状況に直面した際

私たちの多くが

「不正義」に目を向けるのではなく

個別の「不運」として被害を矮小化し

あきらめる(あきらめさせる)方向に向かいがち

なことにも警鐘を鳴らします。

 

cheeseはシュクラーの⬆️この指摘は

非常に的を射ていると思いました。

日本のように同調圧力が強い社会では

被害者が被害を口にだせない状況が

うみだされがちなのかもしれませんね🤔

 

 

普段考えたことのない問題について

思いをめぐらせた一冊📘

勉強になりました。

ありがとうございました🌹

 

 

お読みくださってありがとう。

九州からたくさんの愛と感謝をおくります💕

 

              cheese