私がパーソナルトレーナーになった理由 | 秋田市 女性専門 パーソナルトレーニングスタジオ Fine

秋田市 女性専門 パーソナルトレーニングスタジオ Fine

痩せることがゴールではない。
筋肉を味方につけバランスのとれた身体をつくる大人のボディメイク。

あなたが諦めなければ 身体はまだまだ変われます


私がパーソナルトレーナーになった理由

 

 




《目次》

 

第一章

「秋田の血」が流れる森本さおりの生い立ち


第二章

身体がつくられた学生時代


第三章

軽く考えていた就職先で待っていたもの


第四章

子育て中に唯一の「私の時間」だったダンスとの出会い


第五章

専業主婦からなぜエアロビクス・インストラクターに転身したのか?


第六章

インストラクター時代に育んだパーソナルトレーナーとしての心得


第七章

エアロビクス・インストラクターの限界


第八章

集まってきたのは、子育て中のママやこれから子育てをする女性たち


第九章

私がこれからすべきトレーナーとしてのミッション

(使命)

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


第一章 「秋田の血」が流れる森本さおりの生い立ち


1972年、私は秋田県に生まれました。

(年齢がわかってしまいますね)

最近は東京へ勉強に行く機会も増えました。

 

夏はヒリヒリ熱くムシっとしています。

空気もどんより。

秋田がいかに素晴らしい地なのか

 

再確認できるときでもあります。

 



さてどのような経緯で私、

 

森本さおりがパーソナルトレーナーになったのかお話します。

セッションを受けようかどうか迷っている方は参考にしてくださいね。
 

 


家族は、国鉄の職員をしていた父とパートの母、

 

4つ年上の姉の4人暮らしでした。

父はそれほど厳しい人ではありません。

仕事柄泊まりが多く、

 

休みの日でもよくパチンコに行っていたので

 

ほとんど家にいない人です。

たまに日中家で父を見かけると

 

びっくりしてしまうほどです。

女性ばかりの家だったので

 

父は少し肩身がせまかったのかもしれませんね。

 

 


母の性格はひと言で言えば「心配症」。

特に身体のこととなると

 

すごく気にかけてくれる人でした。

そんな母なので

 

小さい時から健康的な自然食を食べて育ちました。

冷蔵庫には牛乳と麦茶しか入っておらず、

 

お菓子もほとんど家にありません。

パートで遅くなるときでもしっかり食事を作ってくれ

 

お弁当など出来合いのものを出されたことは

 

ほんの数える程度です。

私が健康で、多少の無理がきくのは、

 

母のおかげかもしれませんね。

 



食べるものが体を作りあげていくという、

 

当たり前のことではありますが実感できるようになりました。

温かい家庭で笑顔が耐えない家族に囲まれて育ちました。


第二章

身体がつくられた学生時代

健康そのものの身体だったので、

 

小さい頃から運動が好きで得意でした。

中学生の頃は卓球部でしたが、

 

高校に入学したとき同じクラスの子に

 

バドミントン部を作ろうと誘われました。

バドミントン部は私が入学したときは無かったのです。

そもそもこれから作るなら強くないだろうと思いました。

バドミントンは遊びのレベルでしか知りません。

全く気がすすみませんでしたが、

 

特に入りたい部活もないし

 

何度も誘われるので入部することにしました。

といっても最初は同好会からのスタートです。

ちょうどその年に赴任してきた先生が

 

バドミントンの先生で顧問になりました。

かなり熱血な先生で、

 

指導した学校は強豪校になると評判でした。

案の定、基礎トレや地味な練習がひたすら続きました。

同好会ということもあって部費も出ず、

 

練習場所もありません。

毎日の練習は学校近くにある有料の公共施設を借りて

 

練習していました。

その施設が利用できないときは、

 

他の部活が終わるのを待って学校の体育館で練習する

厳しい練習環境です。

文句をいいながらも練習を続けていると、

 

初めの頃ボロ負けしていたのが

 

次第に他校の3年生にも勝てるようになってきたのです。

私たちが2年生になったとき後輩も入ってきて、

 

団体戦では準決勝や決勝に上がるくらい

 

表彰台の常連校になりました。

東北大会に出場も果たしました。

大会で結果を出せば同好会から部活になるものだと思い、

 

それを励みに団結して頑張っていました。

しかし気付くと

 

同級生の部員は20人から3人になっていました。

ただ後輩の頑張りにも助けられ、

 

3年間キャプテンとして部を支え、

 

とても充実した高校生活を過ごすことが出来ました。

体をつくるということは、

 

コツコツと地道につくりあげていくものなのだ

 

ということがわかりました。

そして

 

トレーニングをしっかりやっておくと

 

後々まで「健康貯金」は貯まるのだ

 

ということもわかったのがこのときです。

 

 



ひたすら練習の日々でした



第三章

 

軽く考えていた就職先で待っていたもの

高校卒業が近づくと

 

進路のことを考えなければなりません。

しかしバドミントンはもうやる気にはなりませんでした。

そこでバドミントン部に入ることが条件になる

 

実業団や大学は自然と却下となります。

とは言え、

 

これというやりたいこともありませんでした。

そこで「土日休み・給料も高い」というだけで

 

金融関係のお仕事に就きました。

入社した頃は営業の指導がかなり厳しかったです。

『お客様第一主義』

 

とうたっていたので

 

接客に対して徹底的に学びました。

 



今思えば

 

様々な年齢・世代に対応できる力がついたのは

 

その頃かもしれません。

当時は大変でしたが、

 

その経験は確実に今に繋がっていると思います。

この当時の経験は

 

仕事に対する向き合い方を覚える期間だったのだな

 

と実感しています。

 




OL時代です。接客の基本を学びました
 

 


第四章

子育て中に唯一の「私の時間」だったダンスとの出会い

3年勤務した1994年、夫と出会い結婚しました。

22歳のときです。

結婚を機に退職し専業主婦となりました。

2年後に長女、さらに3年後に長男が生まれました。

専業主婦もしたかったし、

 

子供が小さい時は家にいたい

 

という希望もあったので本当に楽しかったです。

 






しかし主婦業にも慣れてくると

 

心の中にモヤモヤが湧き上がってきたのです。

 



主婦業に専念する事は兼ねてからの夢でした。

ところが楽しい半面、

 

このままじゃもったいないと思い始めました。

子供が小学校に入って

 

自分にまとまった時間が出来た時に

 

仕事をするとしたら…。

そんなことが頭に浮かびはじめていたのです。

 



この頃は子供や夫中心の生活です。

しかし一週間に一回だけ

 

「自分だけの時間」がありました。

それは息抜きで始めていたジャズダンスです。

その一回のレッスンが楽しみだったので、

 

どんなきついことがあっても耐えられました。

 



子供の卒業式に出席していた時

 

こんなことを考えてしまったことがあります。

 



子供には卒業、そして進学と人生に節目がある。

新しい目標や希望を持って進んで行く。

次のステージがあっていいな、

 

羨ましいなと思ってしまったのです。

「私にとっての人生の節目がいつからなくなったのだろう」

 

そう考えるようになり

 

気持ちが落ち込んでしまいました。

高校卒業、結婚、出産・・・と

 

振り返ってみると

 

出産を最後に私の人生には節目がなくなってしまいました。

いつの間にか子供の成長、

 

初節句、七五三、入園、入学式、卒業式などを

 

自分の節目のように思っていた事に気付いてしまったのです。

それは「私」ではなく「子供」の人生。

 



OL時代は専業主婦に憧れ、

 

子供が小さいうちは一緒にいてあげたいと思っていました。

実際、子供達の成長は嬉しいですし、

 

妻や母としてのやりがいや、

 

喜びもありました。

ですが、

 

これから先ずっと妻、母だけで終わるの?

自分は家事、育児に専念して

 

子供の成長を自分の人生の節目として生きて行くだけなの?

と、モヤモヤとした気持ちが湧き始めたのです。

 



子供はいつか私のもとを離れていく。

その時自分は何をしているのだろう。

そんな不安も出てきました。

そして、これからは妻、母としてはもちろんですが

 

自分の人生も生きたい。

生きよう。

そう思うようになりました。

 



この時はまだ、

「10年、20年後の自分はこうなりたい!」

という具体的な夢がなく、

 

ただ今のままダラダラと歳をとっていき

 

オバサン、お婆ちゃんになりたくない

 

という気持ちが大きかったと思います。

そして、何がしたいのかはわからなくても

 

このままじゃ嫌だ。

変わりたい。

何かしたい。

と言う気持ちにフタをしない、諦めない。

自分の人生の節目は自分でつくる。

そう思うようになったのです。

 

 



子どもたちの卒業式は私の「専業主婦の卒業」が始まる日でもありました
 

 


第五章  

専業主婦からなぜエアロビクス・インストラクターに転身したのか?


それまで専業主婦だった私の自分探しが始まりました。

そこで私が漠然と考えはじめたのは

 

「エアロビクス・インストラクター」の仕事でした。

ではなぜエアロビクスのインストラクターの仕事をすることになったのか?

きっかけは、

 

そのときダンスを習っていた先生が

 

新しくスタジオをオープンすることになったことです。

その時、先生としてジャズダンスを教えてくれないか

 

というお誘いをいただいたのです。

 



ジャズダンスを自分が踊っている時は楽しいけれど、

 

教える基礎知識はまったくないし、

 

真剣に教えるとしたらどうなのだろう?

ジャズダンスの先生として教えることを考えあぐねていると、

今度は

 

「エアロビのインストラクターを養成する先生を見つけたから習ってみたら?」

 

と勧められました。

ところがエアロビに対しては

 

それほどいい印象を持っていませんでした。

以前受けた体験レッスンで

 

苦い経験をしていたからです。

 

 


周りは60代の主婦ばかり。

テンポは早いしステップもわからないし、

 

全くついていけなかった経験です。

その時はすごく置いていかれる

 

という印象で苦痛でしかありませんでした。

そんな思い出もあり、

 

あまり乗り気ではありませんでしたが

 

軽い気持ちで話だけ聞いてみることにしました。

ところが、先生の話を聞いて

 

インストラクターの仕事にとても興味がわいたのです。

「エアロビを通して身体のために指導するインストラクターを育てたい」

「身体のために運動を教えることができるレッスンをしていきたい」

その話にとても共感しました。
 

 


自分としても知らない分野に飛び込むのは好きでしたし、

 

子供のタイミングとしてもよかったので、

 

インストラクターに挑戦する事にしました。
 

 


その後、

 

秋田県認定総合型スポーツクラブで

 

インストラクターの養成を受け始めました。

 



私はよくありがちな

 

元気ハツラツなだけのインストラクターにはなるまい

 

と心に決めていました。

前述しましたが

 

体験セッションでつらい思い出があるからです。

最初は誰だって踊れない。

そんな前提でセッションを行おう

 

と心に決めていたのです。

どんなに人数が多かろうと、

 

ひとりひとりの表情を見ました。

落ちこぼれてしまうような人を出さないように

 

常に気を配って指導し続けました。

するとその全国展開している大手フィットネスクラブにおいて、

 

秋田県ではトップクラスの人気インストラクターになっていました。

自分ではそんな実感がないので驚いています。

 

 



10年間延べ20万人以上の方々とのセッションはいい思い出です



第六章  

インストラクター時代に育んだパーソナルトレーナーとしての心得


そしてその後、秋田県主催の教室でも

 

エアロビのインストラクターを始めました。

フリーのインストラクターになってからは

 

10年程レッスンをしてきました。

秋田では健康づくり事業として市の施設を使って、

 

秋田の職員やインストラクターが運動指導する取り組みが行われていました。

 

 


最初集まった生徒さんは10人くらいでした。

その地域のひとたちが集まっているという感じです。

それが教室の回数を重ねるうちに

 

どんどん口コミで広まり、

 

25人の収容スペースがぎゅうぎゅうになるほどになりました。

そのときはまだ実績もなく

 

広いスペースを借りることはできなかったので、

 

回数を2回に増やすことになりました。

するとその2回の教室が満員になり、

 

50人を越えるようになって

 

安全面からそれ以上のお申込みは

 

お断りをすることもありました。

別の教室では、

 

今まで使っていたスペースではお客さまが入りきらなくなり、


市の対応も変わってきて、

 

ついには体育館を借りてレッスンを行う程になりました。

その時は毎週末70人のお客さまが集まっていました。

 



私がレッスンをする上で気を付けていたのは

 

とにかくわかりやすくすること。

そして頑張らなくていいよと声をかけることです。

 



大勢のレッスンに出ると

 

続かなくなってしまうことが多いのです。

自分だけ出来なかったり

 

周りが上手にできているように見えたりすることもあります。

やがてついていけないのは自分だけかも

 

という感覚が芽生え、

 

疎外感を感じるようになってしまう。

 



私にも同じような苦い経験があるだけに、

 

そんな思いをさせまいと

 

お客様に寄り添ったレッスンをすることで

 

好評をいただいていたのかもしれません。

 



上手にやるのが目的ではありません。

「自分の身体はどんなふうに動くの?」とか

 

「今日の身体の調子はどうかな?」とか、

 

日々同じことを同じように続けていくことを意識してやる

 

ことをすすめていました。

それを継続していくことで、

 

よく眠れるようになったとか、

 

ご飯がおいしく食べられるようになったとか

 

そういう自分を感じてほしい

 

という話をよくしていました。

私自身もこういうところがよくなった

 

という話を聞くと本当に嬉しく思います。

 



女性が中心でしたが、

 

徐々に男性も増えていき、

 

90%近くがリピーターになってくれました。

気づけば10年間延べ20万人以上の方々にセッションを行い、

 

とても楽しかった思い出です。

 



このお客さまに寄り添っていくような指導法は

 

今のパーソナルトレーニングの指導の基礎となっています。

 

 



秋田県主催の健康トレーニング教室では県民の方々のために尽くしました

 



第七章

エアロビクス・インストラクターの限界


エアロビのインストラクターを10年程続けた頃に、

 

よく病気やケガを理由に

 

教室に来られなくなった年配の方や

 

リタイアせざるをえない人を見かけるようになりました。

エアロビでケガをしたわけではありません。

 

加齢や運動不足によって引き起こる病気やケガです。

 



そのお客様から

 

またみんなと一緒に動けるようになりたい

 

というお話を聞いた時に、


何かできることはないかと考え始めました。

 



年齢によるものや、体力や身体に不安がある方、

 

レッスンを受けてみたいけど子育てをしている方は、

 

どのようなレッスンを望んでいるのかなと。

それで考えたのが1対1の個人的なレッスンでした。

 



パーソナルトレーナーという仕事は

 

お客さまと1対1で向き合います。

そしてエクササイズ指導を行い

 

お客さまの健康面・美容面をサポートし続けるお仕事です。

大勢でやるレッスンと違って

 

人と比べなくてもいいし、

 

自分のペースでできる。

何より一人ひとりのお話を聞いてあげることで

 

よりいい指導ができると感じました。

 



自分が専業主婦の時に

 

子供や夫が中心の生活の中で

 

唯一ダンスが至福の時間でした。

今同じような生活をしている30代、40代の

 

子育て世代の方も通えるような場所を作りたい。

そう思って始めたのがパーソナルトレーナーの仕事です。

 

 



一人ひとりに向き合っていこうと決めました
 

 


2016年、

パーソナルトレーニングのスタジオをオープンしました。

資格をとるために東京まで勉強に通ったこともあります。

そしてお金を工面するために補助金もとりました。

スタジオを立ち上げるまでは

「そんなのできるわけないよ」

「今までやってきたことになんの不満があるの?」

「家事に支障でないの?」

と聞かれることもありました。

でもわたしは後悔したくなかった。

一度しかない人生ですし、

 

やり遂げようと思ったのです。

 

 






ここまでが、私のエアロビクス・インストラクターから

 

パーソナルトレーナーに転身した理由なのです。



第八章

集まってきたのは、子育て中のママやこれから子育てをする女性たち

今現在教えているのは、

 

それぞれいろいろな悩みや環境で

 

個人的なレッスンを必要としているお客さまばかりです。

お子さんが一緒だったり、

 

運動経験ゼロで体力に自信がなかったり、

 

膝や腰、肩に痛いところがあったりする方もいます。

教室に通うとみんなと一緒の運動をするのが不安。

だけど一人だと続けられない。

個人的なレッスンの魅力は、

 

そういう方たちの様々な想いを汲み取って

 

不安を解消してあげられる指導ができること

 

だと思います。

 



難しいレッスンはテクニックが必要です。

ただ私はレッスンの長い短いに関係なく、

 

いつからでもだれでもできる指導を心掛けています。

 

 



いつからでもだれでもできるようになります

 



そこにこだわってやってきたので、

 

それをお客さまに受け入れてもらっていることは

 

とても嬉しく、本当にありがたく思います。

 



女性はいつの時代でも

 

自分の時間はほとんどありません。

特に子育てや介護など

 

どうしても女性の力を必要とするからです。

 



私のところに通われている人の中には

 

60代の方もいらっしゃいます。

自分が年を取って介護される立場になってしまった時に、

 

自分の子供の時間やお金を奪ってしまうのではないか

 

という不安をお持ちです。

今まさに介護によって自分の時間が拘束されている人は、

 

特に心配になるのではないかと思います。

 



自分が健康でいることは家族のためにもなります。

自分のために時間を使ったり、

 

ストレス発散で運動したりするのは

 

全くワガママではありません。

せっかくレッスンに来ても

 

どこか引け目を感じていると全然楽しくないと思います。

 



好きなことができて

 

家でニコニコできる女性の方が絶対にいい。

身体を動かすことや話を聞いてあげることで

 

気持ちがリフレッシュするのであれば、

 

応援したいと思っています。

 

 



不安ごとや心配ごとも、しっかり受け止めます

 



第九章  

私がこれからすべきトレーナーとしてのミッション(使命)

秋田県は自殺や鬱、ガン死亡率も高い県です。

高齢者が多いことが原因なのかわかりませんが、

 

もっと元気で長生きできる高齢者が増えてほしい

 

と思っています。

そのためには健康寿命が本当に大切です。

長生きしたとしても

 

自分で何もできなければ楽しくはありません。

今元気な50代60代の方がさらに20年、

 

体力や気力を維持することができたら

 

叶うのではないかと思います。

何もしなければ体力・気力は下がる一方です。

みんなが少しずつ何かを心掛けることができたら、

 

そして自分が指導することでその手助けが出来たら

 

将来に繋がるのではないかと思っています。

そのためには

 

30代~40代のころから運動をしてもらい、

 

いつまでも美しく更に健康寿命を伸ばすことです。

 



短期的なものではなく

 

長期的なサポートが必要と考えています。

そこで私は

 

「子供同伴」のセッションも受け入れています。

 

 




お子さんの同伴も自由です

 

 



子育て中だからと

 

レッスンを受けることあきらめてほしくないのです。

それ故に安心して指導を受けられる

 

環境づくりから始めました。

運動を長く続けられるように

 

激しい動きではなく、


ボールやストレッチポールを使い

 

呼吸を意識しながら

 

引き締まったボディラインをつくりあげる指導

 

をしています。

 

 



運動を長く続けられる習慣を養う指導をします

 



子供がいるからと言って、

 

所帯じみたり生活臭いと思われたくない方や、


今はやりたい事が見つからなくても

 

魅力ある女性として生きるために太りたくない、


綺麗でいるための意識を持ち続けたい

 

という方々が集まるようになりました。

ありがたいことに多くの女性にお喜びいただき、

 

現在は予約がとりにくい状態となっています。



私は思うのです。

「あの専業主婦の頃の自分のような人のためにセッションをしたい」と。

毎日子供や夫など家族のために

 

すべての時間を尽くしている女性たちに


「あなただけの時間」をプレゼントしたいのです。

 



パーソナルトレーニングをしている時間は、

 

「あなただけの時間」です。

その時間は、自分を輝かせる時間にして欲しい。

そう思いながら毎日お客さまに向き合っています。

 

 

 

 


以上が、私のパーソナルトレーナーになった理由です。

最後までお読みになっていただきありがとうございます。

 






自信湧き上がる大人の健康美を作る


秋田美人養成パーソナルトレーナー  森本さおり



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https://ameblo.jp/cheerful-motion/entry-12190787928.html




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