入学したばかりの姫の様子に一喜一憂しているまだまだたよりない母の私ですが、子育てについていろいろ考えていて思ったのです。
なんだか子育てと通訳ってにているな~と。
両者とも
正解はない
通訳は1つのメッセージでもそれを表現することばはそれぞれの通訳者によって異なりますよね。同じ通訳者でも同じメッセージを2回訳出した場合、1回目と2回目で寸分狂いなく訳出ってほとんどないと思うし、数学とかのように唯一の答えはないですよね。
子育てもその親子や環境によって導かれる答えは違うし、それが正しいと思ってやっていることでも、他の立場のひとからみたら違うのにな~って思うことありますよね。
モンスターパレンツと言われる人たちは、なにもまわりに迷惑をかけてやろう!!!と思ってモンスターな行動をしているのではなく、子どものことを思ってや自己愛の表現方法としてたまたまそうなっているんだと思うんです。
自分にとっても相手にとってもその時のベリーベストな対応ををしたいと思う
通訳はうまく訳出ができなかったり、環境がわるくてスピーカーの声がうまく聞こえなかったりするかもしれないけど、どんな状況であっても全身全霊でメッセージを伝える努力をしますよね。
それから聴衆がどういう人か専門家なのか小学生なのかによってもベストな表現方法は異なるから、必ず相手にとってのベストを念頭にいれますよね。
子育ても自分の考えという芯のような譲れない格となるものがあるけど、子どもにとって何が大事なのかということも絶えず問い続ける。同じ我が子であっても姫1号にとってのベストと王子にとってのベストはいつも同じとは限らない。
自分にとってポジティブな意味合いをもつチャレンジグなこと
通訳はまさにチャレンジングです。内容理解にしろ、事前勉強で知識を積み上げていくにしろ終わりなき道。でもそれこそが通訳のだいご味であって、やればやるほどもっとやりたくなる。
子育ても毎日がチャレンジ。自分だったこうやって割り切るけど、子どもは一心同体の付属物ではないからとってかわってあげれない歯がゆさがある。見守っていくしかない。そこがこれまでやったことがない「自分の分身とも思える他人のため」に自分を抑えたり、奮い立たせたり。波風立てない人生を用意してやることだけが親の仕事ではない。でも壁ばかりぶつかっている子どもに代わって壁を破ってあげたくなる。でもそうしてはいけない。
手をださず見守ることって思っている以上にチャレンジングです。
ある意味一生続くこと
通訳の訓練に終わりはない。たとえ第一人者といわれるプロの会議通訳者でも日々技に磨きをかけ、新しい知識を勉強している。
子育てだってそう。学校の卒業や成人式などある程度の節目はあっても、親にとって子どもは一生子ども。就職しても結婚しても独立してもたとえ首相になったとしても、はらはらしたりとってかわってあげられないことにもがきながら見守り続けるんだろうな。
達成感を味わえる
通訳はぴたっと訳出がきまったとき、「きた~~~~~~~!!!!」とネコちゃんマークかきたくなっちゃうような何とも言えない達成感を味わえる。
私なんかまだまだ訓練者の身だけど、そう思う。だから実際現場にでたらますます達成感を味わえるのだろうと思う。
子育ても子ども達の成長をみていると同じようなものを感じる。達成感とはちょっと言葉が違うように思うけど、子ども達が成長していくのをみると勇気をもらえとても背中がシャンとなる。子どもの笑顔も涙も怒りもすべて私にとっては大事な大事な宝ものなのだ。
そしてこれから通訳も子育ても敗北感や恐怖感も感じるんだろうな。それでも私は続けるよ。
自分がすきだな~と思える
通訳も子どものこともいろいろなやんだり、どーどーめぐりが続いて心がかき乱されたりすることもあるけど、やっぱり根本「すき」なの。
だからその悩みもつらくないというと語弊があるけど、プラスの境地にいくためのモンモンだから、ネガティブどろどろ感がないのです。
私は恵まれている。
大好きなものが2つもあるなんて。
命がけで守っていきたいものが2つもあるなんて。
これを活かすも殺すも自分次第。
あたしゃこれからも勇往邁進だよ。
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