あの日のように抱きしめて | シェットランドに頬をうずめて

シェットランドに頬をうずめて

シニアのミニチュア・ダックスふたりと
その親である私のささやかな日常を綴っています

2017年11月16日

 

あの日のことをこれまで

blogで綴ることは殆どありませんでした

 

さくらが大怪我をした

あの日、あの時

 

私は、あっという間に可愛いさくらを失うことになるとは

夢にも思っていなかったのです

 

あの日、さくらはいつものように

私とわこさん、小太郎のよにんで

八尾の水呑み地蔵院に向かいました

 

お留守番をさせ、私とわこさんふたりで水汲みをしようと

わこさんに提案されていたのです

が、当日、朝から酷い咳の続く小太郎を1時間半以上

さくらとともに留守番させることは出来ないと判断し

一緒に連れて行ったのです

 

 

先立つこと11月13日

奈良県宇陀市の墨阪神社でいつものように波動水を汲む予定が

都合で汲めずに大阪に帰ってきていたこともあり

16日に八尾へ向かったのです

 

 

あれから、約20か月

 

 

先日5日

私とわこさん、小太郎のさんにんで

さくらを失うきっかけとなった八尾の水飲み地蔵院に足を運びました

 

 

 

八尾の険しい山中、十三峠にある地蔵院は弘法大師が開基であり

そこから湧く水は諸病平癒に霊験があると伝えられています

 

 

私たちはこの場所に

ずっと、足を運べませんでした

 

長い間、事故の光景がフラッシュバックし

さくらの死後1年間は、いきなり襲うフラッシュバックに何度も苦しみました

 

 

わこさんも私も深い後悔の念に苛まされ

さくらに対する懺悔の念

消すことの出来ない記憶と

山に響き渡った、さくらの耳をつんざくような悲鳴が

耳にこびりついて離れなかったのです

 

消そうにも消せない

 

どうすればいいのかさえ

ずっとわからずに居ました

 

可愛い可愛いあの子をあんなに苦しめてしまった

愛するさくらを傷つけてしまったことに

わこさんは胃に穴が開く程、悩み苦しみました

小太郎は著しく体調を崩し

暫くの間、臥せってしまったのです

 

 

けれど、親友や友人

ブログで出会った皆様の優しさや思いやりに励まされ

1日1日を何とか乗り切ろうと思えたのです

 

本当にありがとうございます

 

 

久し振りに訪れた水呑み地蔵院は

あの日とまったく変わらず

小太郎はさくらと一緒にいるのかして

いつものように明るく、楽しそうに過ごしていました

たくさんの水を汲み、霞む眼下に広がる大阪の景色を眺め

 

 

やっと来られたことに

ホッとしたのです

 

いえ、そんな言葉では言い表すことの出来ない

不思議な感覚に包まれていました

 

 

ここがさくらの事故現場です

 

 

足を運ぶまで、私はそこをちゃんと見つめられるのか

どうなのか・・・わかりませんでした

 

しかし

こころはとても穏やかで静かだったのです

 

この20カ月

家族と共に、ひとりでも向き合い続けた現実

友人達が支え続けてくれた時間が

私たち家族を支えてくれていただけでなく

皆さまからのお心遣いが

一歩前へ進む力を与えて下さったいたのだと

確信出来た時間でもありました

 

 

 

あの日、さくらは

ヘルニアグレード5となり、下半身が完全に麻痺し

歩くことも出来ませんでした

 

 

さくらは初期治療をお願いした大阪八尾市のとある病院での

ステロイドの過剰投与によりイレウスとなり

突発性の巨大食道症も併発していました

 

さくらが巨大食道を併発したことを知ったのは

亡くなる数時間前の事でした

 

 

下半身の麻痺だけでも苦しいはずなのにもかかわらず

イレウスに誤嚥性肺炎までがさくらを苦しめました

そして、脊椎軟化症の危険性もありました

 

 

11月17日

K子先生の病院で頂戴した

ロイヤルカナンの消化器ケアの缶詰を

さくらはおいしそうに一生懸命食べてくれました

 

夜に私が与えたその食事を吐出したさくら

それが原因でさくらは誤嚥性肺炎となり、結果として命を落としたのです

 

ステロイドの過剰投与により、さくらの肺炎の兆候はなかなかわかりづらく

気づいたときには、時すでに遅し

 

 

11月23日の夜

別れは突然訪れました

 

さくらを看取ってやることすら出来ず

入院先のVR医療センターに駆け込み扉を開けた時

シルバーのステンレスの台の上に横たわるさくらを目にした瞬間

 

 

「さくら!!」と叫んでいました

 

 

さくらに近寄ろうにも足が絡まったような感覚で

あの子に触れようにも、私は台の前で腰が抜けたように

途端に力が抜けて、必死にさくらにしがみつこうとしましたが

目の前に横たわるさくらが

まるで愛しい我が子ではないように思えてしまってならなかったのです

 

先生にお願いし、さくらの鼻に綿を詰めるも

その指は震え

 

空を見つめた開いた眼を接着剤で閉じると言う医師を

母とふたりで静止し

混乱する小太郎を抱きしめることで精一杯でした

 

 

あの日、夜遅くにもかかわらず

病院に駆けつけてくれた親友のmacaちゃんは、待合で小太郎を見てくれており

今でも感謝ばかりです

 

 

 

さくらの亡骸を引き取り帰宅してからのことは今も記憶が曖昧な部分がありますが

 

葬儀の前夜に、さくらの亡骸を抱きしめて

 

「嫌だ!起きて!お願い!」

「ごめんなさい、ごめんなさい」

「さくら、起きて!お願い」

 

そう泣き叫んでいたとわこさんに聞かされました

 

 

 

さくらが他界し間もなく20カ月

 

私が変わっていったのも、亡くなったさくらとの度々の会話や

目の前に数回、現れてくれたことや

周囲の皆さんのお陰さまでもあります

 

感謝以外に言葉もみつかりません

 

また、アニマル・コミュニケーションを通し

更に深く、現実を見つめることが出来たからかもしれません

 

 

そして

すべてを解決しよう、乗り越えよう

答えを出そうとしなくていいと言うことも知ったのです

 

 

彼女そのものが居ない毎日が日常になりました

しかし、さくらはちゃんとそばに居てくれる

そう感じられる毎日でもあります

 

 

彼女の魂と私たち家族はずっと一緒

 

 

もう一度、あの日のように抱きしめたい

そう思うこともあります

 

けれど

それはいつか、必ず叶うことです

それまで、精一杯生きよう

さくらに恥じないように生きよう

 

そばで精一杯、いまを生きている小太郎を

大切に大切にしながら

介護を頑張ろうと思います

 

 

私のように苦しんだ人々や

様々なことでお困りの方に少しでもこの身を役立てることが出来るよう

自分に何が出来るかを考え

数年の学びを経て

アニマル・コミュニケーションをスタートしました

 

 

HPで漸くアニマル・コミュニケーションについて公開できました

 

 

さくらも

旅立ったキャティ、チャッピー、ゆきも応援してくれている

それを日々感じながら、頑張って歩いて行こうと思います

 

 

 

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