3ヶ月に1度の児童発達支援の先生とのモニタリングに初めて主人も参加しました。
少し早めに着いたから玄関で待ってました。
ちょうど登園時間で、息子と同じ年少かな?って男の子が先生とおしゃべりしながら靴を履き替えてました。
その子を何度か見かけたことありますが、息子の名前を呼んで話かけてくれておしゃべりも上手。ことばの遅れはなく、発達に問題があるようにも見えない。
主人もその子が気になったようで見てました。
そして、「息子に似てるね!どこに問題があるのか分からんわ」って言うからガクッときました。
息子のことそんな風に思ってるんだね…
自閉症の特性の塊で知的にも問題あるのがまだわからない?
先生に家庭と保育園での様子を聞かれ、私は困り事を中心に話しました。
家庭:以前は1人でできていた着替えや食事を「ぼくできない、ままやって」って言うし、やりたくないことはできないと言ってやらない。
保育園:いいことしか報告しない方針なのかとくに指摘なし。みんなといっしょにしたいという気持ちが強い。息子本人は楽しみに通っている。
でも給食はほとんどおかずが食べれていない。
そしたら主人が口をはさんできて、
年齢的にこんなもんだと思っている
生活する上で困ってない
遅れながらもいろんなことができるようになってるから心配してない
落ち着きない子はほかにもいる
コミュ力低いけどこれからの経験でカバーしていけると思っている
性格だと思っている
って内容を話しました。
やっぱり息子の障害のことなんも理解してないね。
なんでそんなことこの場で言うの!?って引いたけど、実は、絶望しかなかった心境に私も少しだけ変化があります。
息子が自閉症なのは納得してます。特性ありすぎる。だけど、最近の息子を見ていると特性があるからともだちができない、社会に出て働けないとは思わない。…かも?
公園に同い年くらいの子がいるとカタコトながらそれなりにコミュニケーションとって一緒に遊ぶ姿を見たりすると、このままなんとかならない?って思ってしまう。
発語なし奇声奇行癇癪多動積極奇異で制止が効かなくて日常生活がままならなかった2歳から比べてだいぶ成長したからそんな錯覚を起こしてしまう。
主人の話を聞いた先生に
それだと地域の小学校を考えていますか?
って聞かれました。
主人は「その時の息子に合った環境を選ぶことは必要だと思ってる」って答えてました。私もそれには賛成。2年後の息子を見て決めることで今考えることじゃないと思ってます。
なんとかなるかもなんて儚い夢は見てるけど、支援学校への抵抗もありません。
長い人生で義務教育の9年間は通過点でしかないから、最終的に息子が充実した人生を送れることを目標に選択したいです。
でも…主人の答えを聞いた先生は息子の発達検査の結果を出してきました。現実見てってかんじかな。
平均がDQ100なのに対して息子はDQ68しかないことを説明されました。
主人はDQの意味も分かってないからたぶん先生の意図はあんまり伝わってなくて、
まぁまぁまぁ、大人になってもずっと今のままじゃないし。なんて言ってました。
結局、主人は発達の遅れやコミュニケーションの苦手は分かってはいるものの息子をふつうだと思いたい気持ちが強すぎるからどんなにほかの子を見ても冷静に判断できないと思う。
今出来ないだけだと思って未来に期待してる。
私は2歳台の度を超えた大変すぎる育児からやっと解放されて少しだけコミュニケーションがとれてきた今を見てると息子のこれからに期待したい気持ちが大きいです。
正直、それくらいの希望は持たないと息子を育てていけない。
子育てって大変なことが多いけど、それ以上に子どもの成長がうれしかったり可愛かったりするからみんな頑張れるんでしょ?
自閉症、知的障害の息子を育ててる私だって同じです。
他人から見たら子どもの障害を理解してない、ばかな親だと思われるくらい勘違いしないとこんな人生やってられん。
ずっとずっと息子が自閉症、知的障害って現実に縛られて苦しかったけど、最近は異常なほど楽観的になってきてすごく楽になりました。
翌日、先生から
パパは打っても響かないね(-.-;)って言われてしまいました。
はい、その通りです。
でも今は主人のその能天気さに少しだけ救われてるのも事実です。
いつまでも暗くなって息子の将来を悲観して泣いても何も変わらないと思うから。
もちろん息子のために療育やリハビリは続けますが常に気持ちは前を向いてたい。
やっとそう考えられるようになりました。