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カニバルスが気になりますのブログ

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 実は仕事で合わない後輩と2年ほどペアで仕事をしてきた。相棒がやめられるということで…。2年間の共同作業を終えた♡

 長い2年でした。通常は1年で別の方との協同作業になるのだが…。トラブルメイカーとチラホラ情報が入ってきていたが、あえてキャッチぜずにいた(コレはこの2年間を乗り切るのに賢い方法だった気もする)。終えた後に遮断していた情報にも耳を傾けた。うなづくことばかりだった。私が相棒をしっかり受け止めていたので周囲へ害をなさなかったのだろう。相棒はこの2年とてもいい表情していたように見える。人の心知らず、2年目後半は私はハード。毒が回った状態になる。体・心を壊さず良かった。おかげで体重も10キロ減、もしや要因もあったかも。後2キロ減すれば、20代に体重に戻れるかも。

 今日終えた安堵感で私は脱力した。良くトラブルを起こさず、2年間業務を遂行できたと自分を誉めたいと思える(数日間この安堵感を味わえるのは苦労の2年のおかげ)。

 私もポーカーフェイスで、仕事とはそのようなものと割り切ろうとしたのか。

 最後に後輩のあいさつで
 『奇蹟の2年間』とのたまい、まあそれはよいとして…。
 『やめた後がやっていけるのか心配(私のこと)、どうぞ、よろしく』と。

 『(司会の方は)確かに彼(私)を預かります、ダイジョウブです』と返す。

 「おい、お前、後輩だろうが…。」と。

 言葉を失う。ポーカーフェイス。この言葉と同時に私は怒りの手を上げた……。暴力を振った分けでなく手を上げた私の怒りに、まあ誰も気付かずですけどね。

 相棒との別れ、今日が来るのを楽しみにしていたが…。『最後の一撃』は相棒に場外ホームランを打たせてやった。

 最後に人格のイメージ、そして存在・評価は、奈落の底に墜ちた。
 
 「相棒もその程度ではあったのだが…。」

 最後の職場を去る際にあえて、相棒とあいさつはしなかった。できなかった。そんな失礼な奴に。大人になりきれない私がそこにいた。明日から新たな気分に桜が満開、春が来た♪

 久し振り、ごれんらくありがとう!! FUNFUNともあと3ヶ月、待ち遠しい日々。おかしくなりそう。元々の人格の悪さが,時々見え隠れする。体重も6キロ減、健康に注意する日々。会いたいねー。

 「ザカーニバルス」に参加する前、1966年には関西の有力バンド「チェックメイツ」にいました。交通事故でリーダーがなくなり、デビューが流れました.その後もメンバーを補充し関西で活動を続けます。その後、関東のバンドと合流し「チェックメイツ」として活動されました。ジョニーさんは当時の所属事務所に伝え、バンドを解散することにします。実は解散されなかった。結果としてジョニーさんだけ脱退した。

 ジョニーさんは一端関西へ戻るのですが、ジョー山中さんが「ザ・カーニバルス」を活動されていて誘われ、ジョーさんの元に転がり込みます。ジョーさんを意識して白人系のブルースボーカリストを目指したそうです。1969年初頭から活動を始めるのですが、ラブロマンスも有り、一端バンドは休止します(1969年7月から1970年5月終わりまでは)

 げっそり痩せ窶れた彼を「ザ・カーニバルス」のマネージャーが面倒を見ます。コレまでの様子からドラムがいい勘をしていたので、ジョージ川口の教室へ行くよう1月分の月謝を手配をします。1回しか行かなかったかもしれません。その後、新生「ザ・カーニバルス」のメンバーとなります。また一時離れるようです。その後再加入されるときには、ドラムもされることになります。ジョニー以外にツインのいいボーカルがいます。ニャロメとトミーです。シングル2枚ほどレコーディングしていますが、2枚目にはジャケットにジョニーさんの顔がありますが、レコーディングには参加されていません。ニャロメも一時抜け、内海ケンさんが参加されています。

 「ザカーニバルス」はその後メンバーを再編して「ザカーニバルス+M」になるはずでした。調整がうまくいかず、1回話が流れて。「イエロー」となるようです。

 ボーカルの二人は、対バンした「ハリマオ」に引き抜かれ、ベーシストは「きたもんどザ・スタイリスト」、ギターリストも残りませんでした。ジョニーさんとラッキー川崎さんの二人が「イエロー」に残ることになりますね。福岡のスタジオで練習を続けていきます。

 次のロックの時代(「キャロル」VS「ファ二カン」、「村八分」らのロックンロールの波)がそこまで来ていたのでしょう。

 

 

 

  久々に「ザ・カーニバルス」についてまとめてみよう。

  原宿ライブハウス「クロコダイル」の店長,西哲也サンがインタビューを受けています。

 プロドラマーのなったいきさつ

  「ブルージーンズ」のバンドボーィになる。市山正英さん(「BOSS」)や加瀬邦彦さんの居た「BJ」

 

 BAND変遷

  川崎フロリダの箱バンド、上条英男氏のマネージメントのBANDのドラマーへ。植田さんが「ワンズ」のドラマーになるため,

 加瀬サンから話が来た。青森県の八戸キャバレー(?アップル?)が初仕事。二週間の巡業からスタート!! VO小滝太郎、G山本徹(後の「スイングウエスト」)、B山田

  対バンであった「シャープ5」のGの前田旭さんの誘いでアイドルのバックを「(望月浩&)サンダーバード」

  「ザ・カーニバルス(※)」→「ザ・エム」

  「ファニーカンパニー」のサポート

  りりぃのバンド…

 

  ※ ジョー山中、ロニーのいた時期、市山正英サンからの誘いで「ザ・カーニバルス(※)」へ。ジョニー吉長が「歌わせてく

   れ。」とやってくる。外タレオンリーだったムゲンにも出ることになる。ティナ・ターナーと共演。実力発揮!!

 

 

 

   

 

 

  近いうち、FUNFUNから連絡が来る,または、自分から連絡をとるようにと、FUNFUNかまた私へパワ原するかもしれない。

  FUNFUNが、この時期の昨年のGさんと同じ業務をすることになり、いっぱいいっぱいになり、こちらへ負担が来るとゆう構図なり。

乗り越えてゆくしかないと。