2008年6月8日、秋葉原で起きた無差別殺傷事件。加藤智大元死刑囚が引き起こしたあの出来事は、社会に大きな衝撃を与えました。
けれど、事件の凄惨さの陰で、彼が逮捕される瞬間の姿に、何か言葉にできない感情を覚えた方も少なくないと思います。
制服姿の警察官に取り押さえられ、うつむきながらも抵抗せず、ただ静かに捕まっていく彼の姿。
その背中には、怒りや狂気というよりも、孤独や絶望、そして「もう終わってもいい」という諦めのようなものが見えたと
感じた方もいたかもしれません。
もちろん、命を奪われた方々やそのご家族の悲しみは計り知れず、決して許される行為ではありません。
けれど、**「なぜ、ここまで追い詰められてしまったのか」**という問いは、私たちが社会の中で見落としているものを静かに照らし出しているようにも思えます。
「誰にも必要とされていない」 「どこにも居場所がない」 そんな思いが、長い時間をかけて心を蝕んでいったのかもしれません。
私が「彼の苦しさが伝わる」と感じたのは、見えない痛みに共鳴する感性のせいだと思っていた。
でも、それだけではなかった。あの瞬間、私は彼の中に、自分の中に潜む“もう一人の私”を見ていたのだ。