つれづれ ~人間万事塞翁が馬~ 2月13日 | Mizuki Ashiya

Mizuki Ashiya

ブログの説明を入力します。









「人間万事塞翁が馬」という慣用句があります

意味は、塞翁という男が、村から逃げてしまった馬を連れ戻してきた時にみんなは大喜びしていたけど、あんまり一喜一憂せずに、物事は落ち着いて考えたほうがいいよ
だって、戻ってきた馬がいたから、またその馬に乗って戦争に出て行って、みんな死んでしまったよ
今思い返してみると、馬を連れ戻してきたことは、良かったのか悪かったのか、その判断は難しいよね
だから、物事を瞬時で判断して、すぐに喜びや悲しみを表現せずに、一度落ち着いて考え直してから表現したり、行動したほうがいいよ 
一喜一憂する刹那な考えは、辞めたほうが得だよ

ってな感じ





読み方は、
A「じんかんばんじさいおうがうま」
B「にんげんばんじさいおうがうま」

二通りあります


どちらが正しいのか、どちらが間違っているのか

そもそもこの言葉の由来は、中国の前漢時代の哲学書「淮南子(えなんじ)」の 「人間訓」 にある 「塞翁が馬(さいおうがうま)」 というお話が起源とされています

「人間訓」を(じんかんくん)と読むのか、(にんげんくん)と読むのか
そこに答えがありそうです

中国の古文から引用してきているのを、わざわざ訓読みするのは、何か違和感を感じます
やはりここは、音読みをして、じんかんくん と読むのが最もスタンダードな考えだと思います


となると、人間訓(じんかんくん)の 塞翁が馬 なんだから、Aの「じんかん」が正しいという結論になります


と言うのが一般的な回答ですが、国語学者や専門家等は違った考え方をすることもあります


人間万事塞翁が馬 の 塞翁が馬 「が」 という平仮名を使って和文している以上、にんげん と 読んだほうが、よりベターだ とプロ系の人達は言います




まず、第一判定では、じんかん の方がやや有利ですが、にんげん という読みも日本語としては間違っていないと証明されます






第二判定

Aじんかん
Bにんげん

の意味の違い

日本語では人間を じんかん と読みは存在しません
従って、じんかん の意味も存在しません

この慣用句でいいたい 人間  の意味は
「とかくこの世は」とか「世の中の全ては」という事を意味します

しつこいようですが、日本語で 人間 と書いてあった時に 「とかくこの世は」という解釈は存在しません


Bのにんげん という読みの意味は、人  人生 人の寿命 という意味まで解釈を広げることが出来ます



万事塞翁が馬 という慣用句で言いたいのは、Bの 人 ではなく、Aの この世は と言いたいという気配のほうが高いと思います
Aのじんかん という読みは日本語では存在しませんが、敢えてBとの差別をしたいために、じんかん と強引に読み、Bのにんげん という読みは消去法で消えて、Aの じんかん が残ります 

やはりここでもAの じんかん という読みの方が、やや有利に思えます





第三判定

他にも
C「人間至る処青山あり」
D「人間五十年下天のうちを喰らうれば夢幻の如くなり」

という言葉があります

Cは万事塞翁が馬 と同じで この世 という意味を表現したいので、じんかん と読むのが定石です
Dは人間の寿命を言いたいので、にんげん とストレートに読むのが当たり前だと思います


第三判定では、どちらが有利 というより、意味によって、読みが違う という判定結果になります




最後 まとめ

第一判定 第二判定 ではやや じんかん の方が有利 という確率か高い気がしました



ただし、毛吹草(江戸時代)の書物には、にんげんばんじさいおうがうま とハッキリ書いてあるので、日本では昔から にんげん と読んでいたことも事実です

となると、最終結論は、じんかん でも にんげん でも 日本で読むのなら どちらも間違っていない という結論に至ります




こういうくだらないことを必死になって理屈を揃えようとする人間は、男女問わず、大体、独身か離婚暦のある多少の問題を抱えている人間が多いはずです

何故ならば、世間では、例え正当な理由でも、理屈や説明が長いと、嫌われる傾向にあり、ましてや、他人と楽しい結婚生活なんて営まれない可能性が非常に高いからです

一般世間では、理屈をベラベラ喋り続ける人より、言葉が少なくて、目や持っている雰囲気で伝わってくる直感を備えている人間の方が好まれます


物事を調べるのは大いに結構ですが、あまり人様に迷惑をかけないように程々にしましょう と自分に言い聞かせています