今から1400年位前の574年に厩戸皇子(うまやどのみこと)として御誕生された
本来は推古天皇が政治を司るのだが、推古天皇はまだ幼かったため、摂政として政治を任された
当時は蘇我氏と物部氏などの豪族が毎日戦いに明け暮れていたので、日本の政治は荒れ果てていた
聖徳太子は政治を任されたら、まず何をお手本として正しい法律を作り、正しい国家を創れるのか考えた
当時、東洋で最も最先端の文化があった隋(ずい)の国に仏教という素晴らしい教えがあると聞き、遣隋使を派遣させ仏教を輸入しひたすら勉強した
そして日本初の中央集権国家の基礎となる、十七条の憲法を作った
■第一条 和を以って貴しと為し~云々~
とおっしゃった
これまで争いばかりしていた豪族たちに、もういい加減争いを辞めて、国民のためにみんな仲良くして住みやすい国家を創ろうではないか という意味
争いは辞めなさい とまず最初に言いたかったから、第一条に置いた
次に言いたかったのは、第二条
■第二条 篤く三宝を敬うべし~云々~
三つ宝とは仏 法理 僧侶である
それは生命ある者の最後の拠り所であり、全ての国の 究極の規範である
どんな世の中でも、いかなる人でも、この法理を尊ばないことがあろうか
それには仏の教えに依拠し正しい教えを学ぶものだ という意味
第一条で中央集権国家を創設という目的を示し
第二条で目的のための手段をおっしゃっている
第二条には聖徳太子の強い心意気が感じられます
そして第十条には
■第十条 心のいかりを絶ち、おもてのいかりをすてて人の違うことを怒らざれ 人みな心あり~ともにこれ凡夫のみ~云々~
意味は 人はみな心を持っている 心があるから必ず我執が思いついてまわるものだ皆ともに凡人なのだ
そもそもこれが良いとか良くないとか、誰が定めうるのだろうお互い誰も賢くもあり愚かでもあるこういう訳で、相手が憤っていたら、むしろ自分に間違いがあるのではないかと恐れなさい
自分ではこれだと 思っても、みんなの意見に従って行動しなさい という意味
第一条と第二条はハッキリ強く言い切っているのに対し、第十条ではやさしく柔らかく柔軟性のある表現をしています
まとめると、
第一条では目的
第二条では目的のための方法
第十条では人としての立ち振舞い を述べているように感じられる
その中でも第二条は、誰が何と言おうとこれだけは一歩も譲れない という強さが感じられると思います
その深い信念はどこから来たかといえば、聖徳太子は生涯にわたって仏教を研究していたのがその原因
聖徳太子は、三経義疏(さんぎょうぎしょ)といって、維摩経(ゆいまきょう) 勝鬘経(しょうまんきょう) 法華経(ほけきょう) の注釈を書いています
現存する維摩経 勝鬘経は、後の人間が書写したものと鑑定されている
しかし法華経は、聖徳太子の真筆であると言われ代々天皇家に伝わるもので、国宝中の国宝と言われています
十七条の憲法には、聖徳太子の仏教観からなる、中央主権国家創設に対する強い意思と、非常に謙虚なやさしさという意識の、両方が備わっているのだと思います
一万円札の肖像画が1984年に聖徳太子から福沢諭吉に代わってからちょうど30年が経つ
個人的には、聖徳太子の一万円札の方が、貰って有難いと感じるし、何だかしっくりくるから、すぐにでも変えてほしい