→ [Part 1]
→ [Part 2・3・4]
いつもにこにこ笑ってるニックンの
いつもは見えない面を本人が話してくれてるってのは、
なかなか興味深いもんです。
「初めには韓国生活に慣れなくて孤独で大変でした。 ホームシックに、涙で夜を明かす日々も多かったし、両親のいる家に行きたい考えが切実だったんですよ。 韓国にくる前、ある程度大変だろうという覚悟はしていましたが、このように私を疲れさせるとは思いませんでした。 両親に願望もたくさんしましたよ。」
このようにJYP新人開発チームの努力とパク・チニョンの決断、そしてご両親の許諾に至るまで険しかったニックンの韓国生活はやさしいだけではなかった。
「知っている方はご存知だが、米国で生まれた私はタイにしばらく留まって、12才の幼い年齢でニュージーランドに留学しました。 その時は英語も上手でなかったし、両親とはなれなければならないという事がつらくて大変だったんですよ。 考えてみれば、ニュージーランドの留学時代から韓国での練習生期間まで、孤独だということの連続でした。 一人だけの生活に慣れてきたのです。 一人で経験して、多くの試行錯誤から続く悟りまで、一層さらに固くなるという感じというか。 後から両親に感謝しましたよ。 私がさらに強く、成熟する機会を与えられたので。(笑い)」
このようにニックンは大変で孤独だった練習生期間を、長い間の留学時代を通じて鍛練された気持ちで勝ち抜いた。 また、この時期ニックンに大きい力になった存在がある。 チームメイトのジュンスであった。
「さらに心を堅く引き締めて強くなろうと努力したが、わからない国で一人で過ごすのは容易ではありませんでした。 この時、私に大きい力をくれたのはチームメイトのジュンスでしたよ。 彼とともに過ごして少しずつ韓国文化や人々を知ることになって、また、生活に適応をしていきました。 特に練習生の時、明洞 (ミョンドン) と東大門 (トンデムン) に行ってショッピングを楽しんだのと、トッポッキ、かまぼこ、スンデなど、タイの食べ物と似た韓国の食べ物に初めて接した思い出は今でも生々しいです。(笑い)」
このように楽しかったエピソードが一つひとつ積もるごとに、ニックンの韓国に対する認識は次第に変化した。
「私が感じた韓国の人々は、外国人に対して消極的だが、いつも親切だったんですよ。 さらに知ることになった2PM、2AMメンバーら、そして会社の方々、新しく会うようになった韓国の友人らの助けと配慮で、次第に韓国生活が安定し、気持ちが楽になりました。 後から知ることになったことですが、その時ジュンスは私が大変で孤独なのをみて、自分のご両親にあまり頻繁に宿舎に来ないでくれと要請をしたといいます。」

ひゃ~、ジュンス。。
自分だって、
すんごい長い練習生生活の中で精神的にもきつかったろうに…
バラエティ兄さんからは見えない姿を
思わぬところで知ったわぁ~

常には見せなくったって、本当はすごく優しいんだよね、きっと。
テギョンがけがしたあのステージ
テギョンのことが心配で、ちらちら、ちらちらと、
一番ジュンスがテギョンのこと、チラ見してたもんね。
ニックンのダイアリーなのに、
ジュンスのこと、語ってしまった… そして、そのまま、おわる。。
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