No ride,No 【life】. @FukadakeBase -73ページ目

No ride,No 【life】. @FukadakeBase

基本的にはバイク好きのネタですが
一見、道楽者に見えていながら
妻の精神的疾患を支える難しさなんかも書いています。

いろんな角度から見える「命・人生」がテーマです。

YZF-R1  
 
ここらでちょっとバイクネタも書いておこう( ´,_ゝ`)

10代の頃私にとってのバイクはファッションそのものだった。
キムタクがドラマで乗ったTWにも憧れて、当時はホント、それがカッコいいと思ってた。

車の免許を取ってしばらくバイクから離れて
20代も後半へ差し掛かる頃、なぜかバイク熱は再発した。

そのキッカケを作ったバイクがYZF-R1

小さい頃に見たレーサーレプリカとは明らかに違ったスタイル。
女性を思わせる曲線美。
「走る」ということに向かってまたバイクライフが動き出した。

R1に乗るためにたくさんの練習もした。
仲間もできた。

そしてついに20代最後の年に手に入れた。

クロスプレーン型クランクシャフト

それは今までの集大成が詰まったかのような素晴らしいエンジンだ。

そして20代最後の月に事故を起こした。

30歳になった今、家族を持つ身でバイクに乗るということはどういうことか?

ようやくわかった気がする。

でもね、R1直したし、まだまだ乗るヨォ!!

だってさ好きなんだもん('∀`)

けど心配かけんのはもうやめた。

上手を目指して頑張ります

さて、前回の続きです。


【異常の始まり】


前回書いた通り、私自身が白血病の疑いがあると言われ


大学病院に転院するまでに至った経緯が、妻の精神的な異常発症の引き金になったと思います。


幼かった長女と妻を残して、私がいなくなるということが


妻にとってとても大きな不安になったことは言うまでもありません。


しかし、私は幸いにして白血病ではなく、無事に完治することが出来ました。


退院後、約1ヶ月の自宅療養を経て仕事に復帰しました。


その2ヶ月後位までは夜勤をせずに働けるように会社が配慮してくれました。


ですが、やはり金銭的な面からも夜勤をせざるを得ない状況で再び交代勤務が始まります。


私がいた会社の交代勤務は、1週間夜勤、翌週日勤、翌々週夜勤・・・の繰り返しです。


生産現場のオペレータであったこともあり、日勤であれば最長で7:30~19:30(定時:8:30~17:30)の


12時間勤務がほぼ日常的な状況になっておりました。


そんな中、妻の精神的な異常は始まりました。


慣れない子育てと、近所と馴染むことの出来ない妻の性格から


1日中アパートの部屋で長女と二人だけの生活。


自分一人で楽しむような趣味もなく、ただひたすらに頑張ってくれていたんだと思います。


私も週末となれば普段そのように部屋に閉じこもりだからと


夜勤明けでも、二人を連れてどこかへ出かけることを心がけていました。


しかし、寝てないことのストレスは予想以上に大きく


例えば、昼食を何にするか?という点で妻と口喧嘩も多くなっていました。


妻は言いたいことを我慢して、飲み込んでしまうような性格です。


疲れていることを理由に、妻に逆にストレスをかけていたんだと思います。


このストレスも妻の異常を引き起こしたことも疑いはありません。


最初は夜勤の出勤前に「行かないで」でした。


ここだけ聞けば何だかノロケのように聞こえるかもしれません。


だけど、その「行かないで」はそんなに素敵なものではありませんでした。


ある日、日勤→夜勤の週末です。


夜勤は月曜日の夜からなので、土曜日から月曜日の夕方までが休みになります。


いつもの過ごし方として、月曜日の午前までは家族で思いっきり遊んで


午後に昼寝をして、夜勤に備える生活をしていました。


その日も同じすごし方をしていましたが、長女と昼寝をして目を覚ますと妻の姿がありません。


すぐに携帯へ電話しますが電源が切れています。


私は瞬間的にヤバイものを予感しました。


当時車は一台しか無く、アパートの駐車場に残っていたので


歩きで家を出たのは確かでした。


すぐに車に長女と乗り込んで、行きそうなところを必死に探しました。


1時間くらい探しまわって、ようやく見つけましたが、その日は会社を休みました。


口で言えない性格なので、行動でそれを示したのだと思います。


会社に行ってほしくない。


今思えば、妻のストレスは私が交代勤務をすることで大きなものになっていたのでしょう。


・慣れない子育てへの不安

・夜勤明けの私への気遣い

・私の体調への心配


それ故の「行かないで」だったと今になって思います。


精神的な病の原因の大きな部分をストレスが占めるというのは正しいと思います。


そしてストレスをうまくやり過ごせない性格であれば、特に顕著です。




次回は【発症~初受診】について書きます。



ブログというものを読むことはあっても


書くという事を考えることは無かったんですが


ふと書いてみるかと・・・。



早速ですが、私の妻について書きます。


私の妻は今年の5月に「統合失調症」と診断されました。

妻の精神的な病はもう8~9年ぐらい続いています。


まずは病状が出始めた頃から、何度かに分けて振り返ってみたいと思います。


【はじめに】


実は私が大学3年生の時に、妻が長女を妊娠して、お恥ずかしながら「出来ちゃった学生結婚」してます。


本当であれば大学をすぐに辞めて仕事をして家族を支えるのが筋だろうと思います。


それは私も、妊娠発覚後すぐに思ったことで、自分の両親にもそのことは伝えました。


ところが親父が「今その中途半端な状態で、何が出来る?大学は卒業しろ」と。


私は子供を堕ろせと言われているもんだとばかり思っていて


自分でしてしまったことの大きさ、愚かさ、何も出来ないことへの悔しさでいっぱいの日々を送りました。


ところが親父はそれ以上のことを考えてくれていて、「育てながらでも大学を卒業しろ」と言ってくれました。


【大学卒業~就職・引越し】


私が大学を卒業する頃に長女は1歳になっていました。


初めての子育てと、大学の勉強を両立?しながらの生活でした。


大学は秋田県でしたが、実家のある岩手県になんとか就職も決まり


実家から車で1時間弱のところにアパートを借りて、社会人生活がスタートしました。


独身からスタートする人の気分を私は知りません。


私のスタートは、「責任」というものから始まった気がします。


私には妻も子もいて、何より養わなければいけません。


この始めの会社は、仕事の内容よりも手取りを優先して決めた仕事でした。


今思えばこの会社の人事が不思議でならないのですが


大卒でも生産現場へ交代でオペレータとして就業させる会社でした。


基本給が高卒よりは高く、かつ交代手当も出してくれるので


私一人でも十分に家族3人でやっていける収入がありました。


【兆候・キッカケ?】


就職した年の11月でした。


私が夜勤をしている時に妻から電話が。。


「車の事故で、A(私の幼なじみ)が死んだって。」


信じられませんでしたが、事実でした。


この出来事が妻にとっての一つのキッカケになったと私は思っています。


人が死んでこの世からいなくなるということを、自分が知る身近な人で経験するのが


妻にとって初めての出来事だったからです。


Aの葬儀など一段落した頃、私は日々の生活習慣がたたって体調を崩します。


原因不明の微熱と、身体の倦怠感が一週間ちかく続きました。


近くの開業医で診察しましたがはじめは咽頭炎。


薬をもらって休んでも一向に良くならず。


また受診、おかしいってことで血液検査をした所


ウィルスなどは見られないが、白血球が異常に多いので、県立病院へ入院しなさいとのこと。


2度目の受診で紹介状をもらい、すぐに入院となりました。


しかし、この入院がすべての大きな根源ではないかと思います。


県立の病院へ入院して、私の担当医が経験浅い医師だったのか、慎重な医師だったのか


私の病状から、白血病の疑いがあるとして、家族を呼び、病状説明をしました。


※たまにその病状説明のときの話を、実家に帰った時に酒のツマミで喋ったりしますが

それはそれは、親父、おふくろ、妻のみんながおれの死を意識した瞬間だったそうです。


そしてすぐに大学病院へ転院させられます。


しかも、転院した先は白血病や癌の患者さんが入院している病棟でした。


私自身はなぜかはわかりませんが、そんなにひどくないことを自分でわかっていましたので


なんでこんなに大それたところへ来てしまったもんだろうと思ってました。


すぐに「伝染性単核球症」という病名で診断を受けます。


EBウィルスというウィルスによる症状で、風邪がひどくなったようなもんだと。


普通の人は小さい頃に知らないうちにかかってるが、稀におとなになってからかかって


重症化する人もいるから、大事をとっての入院だねと。




ここまで書いた内容で、恐らく妻は私の死を強く意識したのだと思います。

そしてこの意識が引き金の一つになったのではないかと思っています。

次回は妻の精神的な異常?の始まりについて書きます。