統合失調症 | No ride,No 【life】. @FukadakeBase

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基本的にはバイク好きのネタですが
一見、道楽者に見えていながら
妻の精神的疾患を支える難しさなんかも書いています。

いろんな角度から見える「命・人生」がテーマです。

ブログというものを読むことはあっても


書くという事を考えることは無かったんですが


ふと書いてみるかと・・・。



早速ですが、私の妻について書きます。


私の妻は今年の5月に「統合失調症」と診断されました。

妻の精神的な病はもう8~9年ぐらい続いています。


まずは病状が出始めた頃から、何度かに分けて振り返ってみたいと思います。


【はじめに】


実は私が大学3年生の時に、妻が長女を妊娠して、お恥ずかしながら「出来ちゃった学生結婚」してます。


本当であれば大学をすぐに辞めて仕事をして家族を支えるのが筋だろうと思います。


それは私も、妊娠発覚後すぐに思ったことで、自分の両親にもそのことは伝えました。


ところが親父が「今その中途半端な状態で、何が出来る?大学は卒業しろ」と。


私は子供を堕ろせと言われているもんだとばかり思っていて


自分でしてしまったことの大きさ、愚かさ、何も出来ないことへの悔しさでいっぱいの日々を送りました。


ところが親父はそれ以上のことを考えてくれていて、「育てながらでも大学を卒業しろ」と言ってくれました。


【大学卒業~就職・引越し】


私が大学を卒業する頃に長女は1歳になっていました。


初めての子育てと、大学の勉強を両立?しながらの生活でした。


大学は秋田県でしたが、実家のある岩手県になんとか就職も決まり


実家から車で1時間弱のところにアパートを借りて、社会人生活がスタートしました。


独身からスタートする人の気分を私は知りません。


私のスタートは、「責任」というものから始まった気がします。


私には妻も子もいて、何より養わなければいけません。


この始めの会社は、仕事の内容よりも手取りを優先して決めた仕事でした。


今思えばこの会社の人事が不思議でならないのですが


大卒でも生産現場へ交代でオペレータとして就業させる会社でした。


基本給が高卒よりは高く、かつ交代手当も出してくれるので


私一人でも十分に家族3人でやっていける収入がありました。


【兆候・キッカケ?】


就職した年の11月でした。


私が夜勤をしている時に妻から電話が。。


「車の事故で、A(私の幼なじみ)が死んだって。」


信じられませんでしたが、事実でした。


この出来事が妻にとっての一つのキッカケになったと私は思っています。


人が死んでこの世からいなくなるということを、自分が知る身近な人で経験するのが


妻にとって初めての出来事だったからです。


Aの葬儀など一段落した頃、私は日々の生活習慣がたたって体調を崩します。


原因不明の微熱と、身体の倦怠感が一週間ちかく続きました。


近くの開業医で診察しましたがはじめは咽頭炎。


薬をもらって休んでも一向に良くならず。


また受診、おかしいってことで血液検査をした所


ウィルスなどは見られないが、白血球が異常に多いので、県立病院へ入院しなさいとのこと。


2度目の受診で紹介状をもらい、すぐに入院となりました。


しかし、この入院がすべての大きな根源ではないかと思います。


県立の病院へ入院して、私の担当医が経験浅い医師だったのか、慎重な医師だったのか


私の病状から、白血病の疑いがあるとして、家族を呼び、病状説明をしました。


※たまにその病状説明のときの話を、実家に帰った時に酒のツマミで喋ったりしますが

それはそれは、親父、おふくろ、妻のみんながおれの死を意識した瞬間だったそうです。


そしてすぐに大学病院へ転院させられます。


しかも、転院した先は白血病や癌の患者さんが入院している病棟でした。


私自身はなぜかはわかりませんが、そんなにひどくないことを自分でわかっていましたので


なんでこんなに大それたところへ来てしまったもんだろうと思ってました。


すぐに「伝染性単核球症」という病名で診断を受けます。


EBウィルスというウィルスによる症状で、風邪がひどくなったようなもんだと。


普通の人は小さい頃に知らないうちにかかってるが、稀におとなになってからかかって


重症化する人もいるから、大事をとっての入院だねと。




ここまで書いた内容で、恐らく妻は私の死を強く意識したのだと思います。

そしてこの意識が引き金の一つになったのではないかと思っています。

次回は妻の精神的な異常?の始まりについて書きます。