転倒してしまったメンバーの復活から1ヶ月位だったろうか?
チームで年に一回のロングツーリング。
なんとおれは、ツーリングのホストに任命されてしまった。
【交流と富山ツー①】
行き先は富山。
トロッコ列車に乗る。
この二つがおれにリクエストされた内容だった。
7月の三連休を利用しての旅だった。
まずは地図上でどれ位かかるのか目処を付けた。
初日の土曜日もメンバーの都合上、15時に集合して出発がギリギリだった。
一気に富山を目指すのを断念して、恐らくここらまでは行けるだろうと
新潟の燕三条で一泊し、翌日富山でトロッコ列車に乗って
その日は富山泊のプランを立てた。
しかも、タイムスケジュールまで綿密に算出したし、
かかる費用も全て計算して、メンバーに提出した。
「お前はツアーコンダクターか?」と言われた。
宿も手配したし、富山での弁当も頼んでおいた。
後から聞いた話だけど、親父もツーリングを企画したときは、タイムスケジュールを組んでいたらしい。
ようは血筋なのかもしれない(^。^;)
そして迎えた当日。
実はこの日メンバーの知り合いが所属する、山形のチームとの交流が午前中に企画されていた。
やたらめったら速いとの前評判だったので、おれはツーリングを前にして何かあってはと遠慮した。
うちのチームがホームとしているコースで交流は行われた。
ホームコースをさらにホームにしているメンバーが1人居た。
居たというのは、のちに方向性の違いから、チームを去ってしまった為の表現。
実はおれをチームに入れてくれた張本人だけど…。
あれが集合場所へ着いた頃、みんなは走り終えていて、特に何事も無かった様子だった。
揃いのベストで身を固めた山形の方々は、物凄いオーラを発していた。
ホームコースを本当の自分のホームにしている人だけが浮かれない顔をしている。
負けたんだと思った。
実際に走行シーンを後から動画で見ることが出来たんだけど、慣れたコースなはずのその人でさえ
ついて行くのにいっぱいいっぱいで、ライン取りなんかめちゃくちゃだった。
結局、その山形の方々に引っ張って貰って、国道を使わずに、比較的流れのいいところまで案内しもらうことに。
走りもさることながら、パフォーマンスにしても素晴らしかった。
信号で止まる度に魅せるストッピー。
信号からのウィリー。
まるで格が違う。
途中コンビニで休憩。
この先が今日走る中で最後の楽しい道だと説明された。
ここまで、先頭のすぐ後ろを走ってきた、すっかり意気消沈しているあの人がおれに話し掛ける。
「めちゃくちゃ速ぇから、後ろついて行ってみろ」
そこから、おれは山形の人達のすぐ後ろを走った。
はじめは何てことのない道がだんだんと山沿いを走る。
ペースが上がり始めた。
一応チームの一員として舐められては困ると、遅れないようにすぐ後ろを追う。
初めて走る道、一度遅れてしまうと、取り戻すのは容易でない。
出せる全てを集中した。
後ろを走るとその人の上手さが判る。
コーナー手前できっちりブレーキングし、迷うことなくコーナーへ吸い込まれるように消えていく。
うちのチームの走りは、ブレーキを使わない。
と言うことは、ブレーキング分の余裕を残した走りだと思う。
前の人の走りを参考にコーナーに入っていく。
途中奥で曲がるタイプのコーナーがあった。
明らかに自分ではオーバーで入ったので、フロントブレーキを握り、速度が落ちるのを願う。
VTRの効きにくいと言われるブレーキでこの時は助かった。
でなけりゃフロントからスリップダウンしてたと思う。
頑張ってはみるものの、そのワンミスで、徐々に遅れは大きくなっていった。
そこから先も結構トリッキーなコースが続いた。
逆バンクの右コーナーで、初めてつま先を擦った(゚Д゚;)
あれが帰り道だったら何か起こしてしまっていたかもしれないと今思う。
これから富山に行くよっていう、気負いがあったからこそ、どうしても何かを起こしちゃいけないと思えていた。
何とか無事に海沿いの道の駅まで引っ張ってもらって、山形の人達と別れ、当日の宿、燕三条をひたすら目指した。
新潟県に入り、初めての景色にワクワクした。
辺りはだんだんと暗くなり、当時付けてた、ヘルメットのスモークシールドでは視認性が低下。
どこからだったか忘れたけど、無料の高速に上がってからは、ほとんどシールドを開けて走った。
虫も多くて、バチバチ当たる。
それと戦いながら、当日の宿へは八時半頃到着。
ホテルの近くの居酒屋で、その日の無事に乾杯した。
暑い中ひたすら走った後の生ビールは何物にも代えられない。

