さて、前回の続き、妻を秋田の実家へ帰す決心をしたところからです。
【別居生活】
妻のリストカットが日常的なものなり、
精神科を受診して良くなるものと思っていましたが
落ち着く時間がだいぶ多くなったような気がする程度で
発作的なリストカットは数が減ってはいたものの続いていました。
私の有給もすでに使い果たし、会社に休む、早退すると言うことが
とても苦痛でたまらない日々。
とてつもない不安。
私の両親、妻の両親をアパートへ呼んで、今後について相談の場を持ちました。
本人の意志もあり、この場で実家へ妻の帰省を決めました。
秋田の実家へ帰ってからしばらくは、平穏に過ぎすことができたと思います。
私と長女は、岩手のアパートに残り、私の母が来てくれて
仕事から帰るまでの長女の世話をしてもらっていました。
そんな時間をどのくらい続けたのかも今はわからないというか
正直なところ、このアパートで生活した期間そのものが
私にとって苦悩の日々で、細かなことまで思い出せないのか、思い出したくないのか
そんな期間です。
妻も実家での生活で、育児から開放されて休めたこともあり
幾分調子が良くなってきた頃のことでした。
私の祖父(母方)が体調を崩します。胃がんのほとんど末期でした。
母は3人兄弟の末っ子で、いついなくなるかわからない祖父にそばにいたいと
アパートで暮らすことができなくなります。
保育園には預けていましたが、私の仕事が終わるまでは預かってくれません。
さらに、2歳を過ぎた娘を保育園に迎えに行った時には
「保育園どうだった?楽しかった?」などと聞けば「もう、終わったの。」。
長女も不安定だと保育園の先生から言われました。
どうしたか、長女を妻の実家へお願いしました。
実家での生活では妻もわかる環境での子育てのためか
今思えば私と離れて暮らしたことからかわかりませんが落ち着いていました。
私はアパートを引き払って、自分の実家から会社へ通うことにしました。
車で1時間弱の距離だったので、不可能ではありませんでした。
週末、必ず秋田へ向かいました。
次の週が日勤であれば、日曜日の午後、夜勤であれば月曜日の午前に戻るのですが
長女が尋常じゃないくらい泣くんです。
行かないでと膝にしがみついて泣くんです。
仕事の都合上、やむを得ず離れてお暮らしの方がたくさんいると思いますが
やっぱり家族は揃っていたいものだと強く思いました。
長女にこれ以上、寂しい思いをさせたくない。
私も転職を決意します。
次回は【同居と安定?】について書きます。