翌朝嫁はんが料理の予定を変更したと言う。

鶏は高いのでやめて野菜だけのピナクベットに変えるという。

安くなるのは歓迎だが、また材料の見積もりを一からやり直しかと思うと気が重い。

避難所のリーダーから調理機材の借り出しは難しいかもしれないと連絡が入ったそうだ。

そうなると断るいい口実になる。(^^)

ただ、まだ交渉中なので待つようにと言う指示だった。

無理だという返答に期待して待つことにした。

 

結局昼頃になって器具の借り出しは無理だと連絡が入った。

やった!と言うことで嫁はんに断りを入れようと提案すると、なんとしてもやるのだという。

この頑固者め。(--;)

よく聞くとケイタリング業者が自分たちもボランティアとして参加したいのだそうだ。

直接業者に連絡すると一人前50ペソでやってくれるという。

ケイタリング値段ではなくカリンデリャ価格で、良心的な価格にしてくれてるのは判るけど、なんせ1500人前はとても無理だ。

嫁はんはひょっとして掛け算ができてないのかと思って、安いのは解るけど、75,000ペソになるよと言うと、びっくりしていた。

やはり!(;_;)

されでもあきらめずにまだ色々話をしていたので、放っておいた。

今回の目的は飢えを満たすのではなく食べる喜びを与えることなので、まず量を減らす話をしたようだ。

あたしらが自分でやるプランでも量は思い切り減らして考えていた。

それで30Kになり、更に値切ると25,000ペソになったそうだ。

これは材料費より安い。

恐らく労働力は完全に無償で材料費でも少し持ち出しだろう。

本気でボランティアをやる気だ。

25Kでもあたしの経済力では相当に厳しいのだが、相手の本気度に反応して気持ち良くokを出した。

あたしらの労力がゼロと言うのは物凄くありがたいし、申し訳ないぐらいだ。

パーティー好きが多いフィリピンではケイタリングの需要は多い。

個人の誕生日でも100人200人規模はざらだ。

頼りになるパートナーができた。

こうして共同プロジェクトが決まった。

翌日土曜日の夕食と言うことで話が決まった。

 

翌日昼食後に家を出た。

今回は場所が解っているのであっさり現地に到着した。

業者の場所は解らないので、案内を待つ。

しばらく待っていると案内の人が来た。

車に乗せて案内してもらう。

すぐ近くだという割にはかなり遠かった。

業者に着くと料理はもうできていて、最後の飯を炊いていた。

3台の大きな釜を使っている。

既に炊き上げた飯はスチロールの保温容器に入れて並んでいる。

待っている間に勧められてあたしが試食した。

嫁はんは好き嫌いが激しいので試食係には向かないのだ。

どうかと聞かれてもちろん指を立てて美味しい!と答えた。

実際に美味しかった。

家庭料理でもお馴染みのアドボンバーボイとメヌードだったが、どちらも実際お世辞抜きで美味しかった。

やけに肉肉していると思ったら、既に一度自分たちだけで炊き出しのボランティアを行ったが、野菜だけのメニューで極めて不評だったのだそうだ。

特に子供はまるで食べなかったそうで、非常に悲しかったとのこと。

大人も手を付けなかった人が大勢居たそうだ。

マスコミでも良く報道されるし、あたしの実感としても確かにフィリピン人の食生活には問題が多い。

裕福な層は健康に気を使って意識して野菜を食べるし、貧困な層では野菜を食べなければ生きて行けない。

問題なのは多数派を形成する豊かではないがある程度好きなものを食べられる層だ。

この層が極めて偏った食習慣を持っているので、心臓発作や腎臓病がやたらと多いのだ。

 

さすがはケイタリング業者、街のカリンデリャ(簡易食堂)とは料理の出来が違う。

飯が炊けるのを待つ間色々話をしたが、オーナーも従業員も皆温かい感じのいい人たちだった。

嫁はんが話していた相手はオーナーの奥さんだが、家族の人工透析に付き合って病院に行ってると言う。

それぞれ大変な難儀を抱えているのだ。

飯が炊きあがったところで業者のトラックに積み込んで避難所に向けて出発。

とても覚えられる道ではなかったので、また案内に乗ってもらう。

 

現地に着くとリーダーと打ち合わせ。

あっという間に終わってこれで大丈夫なのかと心配したが、杞憂だった。

体育館の演壇の上にテーブルを運び込み、持ってきたトレイに料理や飯を入れ、スプーンや皿を用意し、あっという間に2か所の受け渡し拠点を作ってしまった。

普段いい加減でのろのろしている人が多いフィリピンだが、イベントとなると話は別。

こういう時は皆猛烈に力を発揮するのだ。

日本人ならかなり時間をかけて打ち合わせが必要な作業をいとも簡単に実に手際良くまとめる。

 

リーダーがマイクでみんなに呼び掛ける。

野菜抜きだと何回か強調していたのが印象に残った。

もちろん業者とスポンサーのあたしたちも紹介してくれた。

リーダーのコールに従って呼ばれた番号を持つ避難者が長い列を作る。

まずその人が持つ番号カードを確認する。

そこにその世帯の人数が書いてあるのだ。

それを基に一人が皿とスプーン、もう一人が1枚の皿に世帯全員分の飯を盛り、もう一人が料理を同様に皿に盛る。

これを延々と繰り返すのだ。

最終的に400世帯ほどだった。

ムスリムの世帯だけは申し訳ないが飯だけで後はイワシの缶詰だったそうだ。

永遠に続くのではないかと思われた行列も最後になり、段々短くなっていき、とうとう終わった。

あたしら夫婦はただ横に立っていただけで何もしないで済んだ。

時刻を見たらなんと1時間半しか経っていない。

これだけの人数をこんな短時間で裁くとは夢にも思わなかった。

配り終わるのは深夜になるだろうと予想していたのだ。

でっかいプロジェクトをやり遂げた満足感で一杯だった。

と言ってもあたしらは材料費のお金を出しただけなので、ただひたすら業者の人たちに感謝。

避難はまだまだ続くが、避難所の人たちも頑張って耐えて欲しい。