神に仕える人は何でも器用にできなくても大丈夫です。器用にできる人は器用さに溺れがちですが、不器用な人は一心になって学ぼうとします。

失敗を素直に認め反省する不器用な人は、器用で進歩の止まった人よりも成長していきます。

たとえ、進歩が遅くても、いつまでも進歩し続ける不器用な人は神に用いられます。その時、神の栄光を現す器になります。

ですから、だれでも自分自身をきよめて、これらのことを離れるなら、その人は尊いことに使われる器となります。すなわち、聖められたもの、主人にとって有益もの、あらゆる良いわざに間に合うものとなるのです。(2テモテ2:21)
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