
高校を卒業して、1969年3月入社し、大阪で働き始めましたが、会社を1年で辞めてアメリカに行く計画を立てていました。給料は当時四万円でしたが、会社の寮に入り、必要経費だけで生活し、2回のボーナスを含めて、50万円を貯めました。1970年7月に退職し9月にアメリカへ出発しました。

それまでの私の生活は、同僚たちとも付き合わず、徹底したケチ生活に、周りから変人と思われていたことは確かです。当時、飛行機代と船賃は約40万円足らずと同じだったので、身体と心を慣れさせるために20日間の船旅(ブラジル丸)を選びました。

初めてのアメリカ旅行6ヶ月間の滞在中に、アメリカ人の友達を見つけ、留学するための下調べをしました。今度こそ留学する決心をして帰国し、歯科医院で仕事を見つけ1年働き、また費用を貯めました。そして、今回は、留学するためにアメリカへ再度出発しました。

生活費はスクールガール(住みこみ女中―お手伝いさん)としてアメリカ人家庭で働き、学費は日本レストランでウェイトレスとして働き稼ぎました。日本の友人からは、一人でアメリカに渡った私のことを「すごい」とかうらやましいという手紙が届きましたが、私の心はなぜか空しかったです。目的達成した後の空しさでした。
「空の空。伝道者は言う。空の空。すべては空。日の下で、どんな労苦しても、それが人に何の益になろう。」(伝道者の書1:2,3)
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