ノイシュバンシュタイン城のふもと(ホーエンシュヴァンガウという)の湖畔で
午前中から酒盛りをしていたわれわれ。(笑)with グリューワイン
ほろ酔い気分でしばしまどろんでいたが、
ようやく重い腰を上げて、世界遺産・ヴィース教会に向かったのは
12時45分発のバス73番。(ホーエンシュバンガウ12:45発 ヴィース教会13:29着)。
前々回の記事でも書いたように、
この日の朝まで、ノイシュバンシュタイン城からヴィース教会までレンタサイクルでいくプランも考えていた。
・・・が、
よっぽど普段から自転車でトレーニングなどをされていないごくごくふつーの方は
やめておいた方が無難である。
・・・ということがはっきり分かった。
夏場は大草原の中を駆け抜けるので気持ちがいいかもしれないが、
やがて鬱蒼とした林や車道のみの一山、斜面をのぼらなくてはいけない。
自転車だとかなりハード。ましてや日が暮れたら大変危険。
軽井沢の碓氷峠みたいなところを超えていくイメージ。体力に自信がある方のみ、挑戦してみてほしい。
私はつくづくこの日の朝にペンションの女夫人のSonjaに相談して、自転車は止めた方が良いと全力で止めてもらってよかった
と、バスの車窓を眺めながら思ったのであった。
そうこうしてようやく念願のヴィース教会へ到着。
ヴィース教会のヴィースとは『草原』という意味があるだけあって、
あたり一面草原のど真ん中に立っている。
しかし、そんな牧歌的な外観からは想像もつかないほどに
このように内装はヨーロッパ随一と言われる見事なロココ様式。
この美しさから、世界遺産に登録されている。
ここは1738年にある農家の夫人が、この地域(シュタインガーデン)の修道士が彫った
『鞭で打たれたキリスト』の木像をもらったところ、6月14日にそのキリスト像が涙を流したという。
この噂は「ヴィースの涙の奇跡」として広まり、巡礼者が農家に集まるようになったそうだ。
『天から降ってきた宝石』と称される天井画。
1740年にはここから近くの牧草地に、そのキリスト木像を祀った小さい礼拝堂を
建てたのだが、巡礼者は増える一方であったため、
シュタインガーデン修道院が先頭に立って建設資金を一般から募り、あらたに建てられたのがここ。
1745年に着想され、1746年から建設開始、1757年に献堂式があったということで、
実にフランス革命より前の建物なのだから、歴史としては古い。
私は実は念願かなって今回は初来訪であった。
うちの両親だけは2年前に訪ねたことがあり、
その美しさに大変心打たれたということで、それ以来、両親から散々私も行くように勧められていた場所。
私としては、そのキリスト像が涙を流したという伝説は
子供の頃に愛読コミック『あさりちゃん』で知ったので、
まさかその伝説のあった現場がここだったとは知ったときは大変驚いたものである。そして今回実際に行くことが出来て感無量であった。
とはいえ、実際のヴィース教会は前評判のわりには・・・・?????といった印象。
(私の完全なる主観。)
観光地化してるからかな。もちろんすごく綺麗なのよ。でも期待していたような神聖な雰囲気というか、空気感はさほど感じられず。
それであったらザルツブルクの教会の方がうんと神秘的な空気に研ぎ澄まされている気がする。
ミュンヘンの聖ミヒャエル教会も、ザルツブルクのアイゲンの教会も(ここよりは装飾が地味かもしれないけど)
カトリックの煌びやかな内装が素敵だしなぁー。
ロココ様式だったらシェーンブルン宮殿とかで何度も何度も見てるし・・・。
・・・ってことで、世界遺産の割にまあまあ感動が薄かったのであった。
ま、とりあえず見れたからいいか。
14時半すぎまでヴィース教会を見学し、その後は教会敷地内のレストランでランチ。
・・・といっても15時にはバスに乗らわなくてはいけなかったので席についてから注文、完食、お会計、
これから数時間移動するのでお手洗いタイムまで含めて
・・・トータル30分弱。
めちゃめちゃ慌てたけど、頑張った!!!
この時期はキノコ(Steinpilz/シュタインピルツ/ポルチーニ)が旬だったので、もちろんキノコ料理を。
ドイツ定番料理のクヌーデル(肉団子)のシュタインピルツのソースがけだ。
このレストランはキノコ料理がおいしい!と以前知り合いから聞いていたので
注文は迷わなかった。美味しかったはずだけど、あまりにも慌ててたのであまり覚えていない。隣の席のマウルタッシェンも美味しそうだったー!
15時になったのでバス停へ。
Oberbayern bus(オーバーバイエルンバス)の9606番に乗り込む。
この日の宿泊先はミュンヘンであった。
来た道を戻ってミュンヘンまで行くのが一般的だが、敢えて今回は戻ることはせず別ルートでミュンヘンへ。
アルプスに囲まれた家並みのフレスコ画が美しいオーバーアマガウ経由で、
ガルミッシュ・パルテンキルヒェンを通ってミュンヘンを目指すことにした。
・・・というわけでこのような紅葉に染まるバイエルンの中をバスで行き、
15:39 オーバーアマガウ着。
実はこの街を通るのは3回目。ここは15歳のときもバスツアーで通り過ぎ、なんて可愛い街なのだろうと印象的だった思い出。
そして19歳の初一人旅の際にもフュッセンからここまでバスで通り過ぎたけれど、
当時は必死だったので何も見えなかった。(笑)
街並みの壁画がとても綺麗で、アルプスの山並みもとても綺麗。
また、10年に1度、村全体でキリストの受難劇を行う。
村人の中から、イエスキリストを始めとしたキャスティングオーディションも行うとか。
人口たった5,000人の小さな村なのに、この劇をするときは世界中から人が押し寄せ、
チケット入手も困難となる。ちなみに次の受難劇は2020年。
私もぜひとも行ってみたいィィィィィィィィ!!!!!!!
↑オーバーアマガウ駅。
下車をしてしばし観光をしたかったが、ミュンヘンまでの交通の便が不便そうだったので
今回は省略。またいつか時間があるときリベンジしたい。やっぱペンションマグノリア2泊コース必須だな。。。
そうしてそのままガルミッシュ・パルテンキルヒェンへ。↓
16:15 ヴィース教会から実に1時間15分後。
無事にガルミッシュ・パルテンキルヒェンへ到着。
ドイツ1高い山があるときアルプス山脈に囲まれた街。
19歳のとき以来のガルミッシュ!!!
私はここから当時、ひとやまアルプス超えがしたい!と、
ただそれだけのためにノイシュバンシュタイン城付近からここまでやってきて、
バスでヤマを超えて(ものすごい崖っぷちをバスが爆走しながらぐるぐる回っていたため、遠心力で私の座っていた外輪側が
大地からはみ出しまくって死ぬかと思った思い出。)オーストリアのインスブルックに行ったのだ。
あの当時はドイツ語も一切わからず、でも当時運転手のおじさんたちが発していた『数字の20』のドイツ語は
ずっと耳に焼き付いていたことを憶えている。
ちなみにこの地はナチスの時代、1936年の冬季オリンピックの会場になった場所。
また、『モモ』で有名なミヒャエル・エンデが生まれた場所。
作曲家リヒャルト・シュトラウスも晩年をこの地で過ごしたとのこと。
私もFacebookで現在ガルミッシュにいるということを書いたところ、
現在音楽院の仕事でそこに住んでいる!と連絡してくれた。(ザルツブルクからは引っ越したのね・・・)
また今度遊びにくるように誘ってくれた。今度はゆっくり彼を訪ねたい。
そうして昨晩のおかずの残り(笑)や朝ごはんの際に作ったサンドイッチを食べながら
ミュンヘンはどんどん近くなってゆく。
17時5分 ガルミッシュ・パルテンキルヒェン発
そして18時26分 ミュンヘンへ到着したのである。
ミュンヘン編に続く♪