~コンシェルジュリー編~


4日目午後
ベルサイユからパリへ戻りパレロワイヤルの近くでランチ
目玉焼きののったクロックマダムとクレープを頂きます♪

   IMG_0982.jpg

そうそう
パレロワイヤル駅の入口って、こんな賑やかなオブジェになってた

   IMG_0779.JPG


セーヌにかかる最古の橋
ポン・ヌフ(でも直訳すると新橋w)を渡ります。
後ろに見えるのはコンシェルジュリー


   IMG_8305.jpg


コンシェルジュリーはマリーアントワネットが最後の数か月を過ごした牢獄。
牢獄といっても元は中世に建てられら王宮です。

午後はここへ行きます!

入ると大広間が。
薄暗いです

   IMG_3059.jpg

一般の囚人部屋かしら?

  IMG_5057.jpg

   IMG_8017.jpg

牢獄の鍵の数々

     IMG_2726.jpg


ここで死刑宣告を受け処刑された人たちのリストがあります。
実に2700人!

   IMG_0317.jpg

アルファベット順になっています。
探しましたよ~「М」


ありました!
マリーアントワネット
ルイ・カペー未亡人と書いてあります

  IMG_2930.jpg


その隣にはルイ16世の名が

    IMG_7097.jpg

一度、中庭に出ます
ちょうど女性が立っている所の四角い窓、
あの窓がアントワネットの独房の窓です
半地下になっています


   IMG_9913.jpg


中に戻るとアントワネットの独房が再現されています。

   IMG_0789.jpg

   IMG_0103.jpg


常に見張られていました

   IMG_3753.jpg

アントワネットが使った水差し

   IMG_4792.jpg


裁判の様子

   IMG_5162.jpg


この時ほぼ38歳

   IMG_8635.jpg


処刑場(コンコルド広場)へ連れて行かれる場面
後ろ手に縛られ、髪を切られ。。。

   IMG_0369.jpg


処刑台の様子
王妃たるもの、取り乱さず最後まで毅然と。

   IMG_0767.jpg



この独房でアントワネットが書いた最後の手紙、
遺書があります。日本語訳の一部を紹介します。

先に処刑された国王ルイ16世の妹エリザベスに宛てたものです。
コンシェルジュリー入る前、まだ一家でタンプルの塔に幽閉されていた時
この義理の妹エリザベスも一緒に幽閉されていたんですね
ちなみに国王の弟たちはいち早く国王一家を見捨て、国外に亡命しています。


愛する義妹よ
あなたにこそ、これを最後に手紙を書きます。
私は恥ずべき死刑の判決を受けたわけではありません。。
死刑は犯罪人にとってのみ恥ずべきものでしょう。
あなたの兄上に会いに行くようにとの判決なのです。

あの方と同じく無実の私は、最後の時に際しても
あの方と同じくしっかりとした態度でいられると思います。
良心の咎めがないので私は平静な気持ちです。
あわれな子供たちをおいていくことだけが心残りです。
この気持ちをわかって頂けるでしょうか。
友情からとはいえ、私達と一緒にいるために何もかも犠牲にしてくださったあなたを、
私はなんという状態の中に残していかなければならないのでしょう。

裁判の口頭弁論の時にわかったのですが、娘はあなたから引き離されてしまったのですね。
ああ なんという可哀そうな子供なのでしょう!
あの子に手紙を書く気力もありません。
書いても届かないでしょうし、この手紙でさえあなたに届くかどうかわからないのです。

(略)
私たちの友情があの苦しみの時にどんなに慰めになったことか!
幸せというものは もし親しい友とわかちあえれば
二重に享受できるものです(略)

私の全ての知り合いに対し、そしてとりわけ愛する義妹よ
あなたに対して私が
知らず知らずのうちに与えた苦しみをどうぞお許しください。

これをもって叔母上たち 私の兄弟姉妹のみなさまに永遠にお別れいたします
さようなら!
善良にしてやさしい義妹よ
この手紙がどうかあなたに届きますように!
いつまでも私をお忘れにならないでください
あなたと可哀そうな私の子供たちを心から抱擁いたします。
神よ!彼らと永遠に別れるのは、なんと辛いことなのでしょう!





結局この遺書も義妹エリザベスに届くことなく
彼女も処刑されてしまうんですね。。。


1793年10月16日
午後0時15分
アントワネットは断頭台の露と消えたんですね。。。







はぁぁぁーーー
もし自分だったら・・・
最期の時にこんな手紙が書けるのだろうか
泣けちゃいます