。「伊藤さんは,METAL GEARに関する僕の先生」と,矢野氏は表現した。 また会場では,矢野氏が編集し,2004年に刊行された「METAL GEAR」シリーズの解説本「METAL GEAR SOLID naked」を紹介。この書籍のカバーアートワークは映画監督のカイル?クーパー氏が手がけており,素材として小島監督本人の血液の写真や頭蓋骨のレントゲン写真が使われている。その狙いについて,矢野氏が「METAL GEARを裸にしようと考えた」と説明する一方で,小島監督は「騙されて病院に連れて行かれた」と笑いながら当時の裏話を披露した。 大森氏が伊藤さんの存在を知ったのは,2006年の夏に第7回小松左京賞の選考で「虐殺器官」を読んだときとのこと。その時点で,大森氏はすぐに書籍化できるクオリティだと考えていたそうだが,FF11 RMT,残念ながら最終的に受賞には至らなかった。そのときのSNSでのやり取りがきっかけで,大森氏は伊藤さんとコンタクトを取るようになったという。 また塩澤氏は「虐殺器官」について,編集者としてほぼ手を加えていないと述べる。塩沢氏によると,伊藤さんは「虐殺器官」を20日程度で書き上げたそうだが,その原型となったのは2004年の短編小説「Heavenscape」であるとのこと。塩澤氏は,この作品が小島監督が1988年にリリースした「SNATCHER」の二次創作であることを紹介し,「SNATCHERが,maplestory RMT,伊藤さんのSFの原点」と表現。それを受けた小島監督は,そもそも「SNATCHER」が映画「ブレードランナー」のオマージュであることに触れ,「パチモンがめぐりめぐって本物に」と冗談をいっていた。 そんな伊藤さんについて,小島監督は「作家志望というよりも,僕と一緒で映像を撮りたい人だという印象を受けていた」と述べる。というのも,伊藤さんは小島監督に自身の著作に関する話をしなかったからだそうだ。その原因を小島監督は,伊藤さんが原作?世界設定を務めた2002年のコミック「Automatic Deathepisode 0No Distance, But Interface.」(ATD)を見せられたときに,「ピンと来なかったので,あまりいい感想をいわなかったからかもしれない」と振り返った。 続けて,大森氏と塩澤氏はATDが「SNATCHER」や「ブレードランナー」の影響を受けていることに言及し,「『虐殺器官』以前の伊藤作品はファンクリエイト色が強く,創作者としての意識は強くなかったのではないか」と指摘した
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