最後に,ToWそのものの評価とは若干ズレるが,ToWも含めたPCのリアル系RTS(あるいはストラテジー)に共通する,ちょっと批判めいた見解を述べ,逆にToWを見る目についてスタンスを明らかにしておきたい。現状のリアル系RTSに対しては,かなりネガティブなことを書いてしまうことになるが,それが決してゲームとしてのToWや,そのほかの作品の全的評価ではないことを,あらかじめお断りしておく。 ToWだけでなく,この手のリアル系RTSをプレイしていて一番気になるのは「結局,俺って何者なの?」という問題だ。 例えばToWにおいて,プレイヤーは部隊全体を指揮するが,この部隊が戦争の中で何をすべきかを決定できるほど偉くはない。一方,プレイヤーは戦車兵の配置を決め,装填手がケガをすれば車長が装填手の仕事もするように再配置し,歩兵が敵をどのあたりまで引きつけて射撃するかを決め,敵の車両が見えればそのどこを狙うべきかを指示する。 いや,指示するというか,指示できてしまうのだ。場合によっては,しなくてはならない(しないと勝てない)。だが歴史上,そんなことができる/しなくてはならない指揮官など,実在しない,ドラクエ10 RMT。1814年,フランス戦役におけるナポレオンは手ずから大砲の照準を定めて,周囲の兵達の士気を大いに高めたというが,もちろん全軍の大砲にそれができるはずもない,カバル RMT。いったい,何種類の「隊長」職を兼ねなければならないことか。 ToWについていえば,欧米のレビューの多くは「PCゲームとしていま一つ」という意見と,「クラシックなウォーシミュレーションとして最高の出来」という意見に,ほぼ二分されている。だが,クラシックなウォーシミュレーションをたしなむ人間の一人として言うならば,リアル系のRTSというジャンルは,その「クラシックなウォーシミュレーション」が陥った,細密化とコマンドコントロールという罠に,より深くはまり込んでいるように思える。 アナログのストラテジーゲームには,「コマンドコントロール」という概念がある。おおざっぱに言えば「軍隊には指揮系統が存在し,それは兵士や補給物資,兵器などのファクターと同等の意味がある」という概念だ。ミニマムな範囲で言えば,ToWにおいて銚膜蚴埭堡勘郡园k的に伏せるのも,一種のコマンドコントロールである。「兵士が指令を聞かなくなる瞬間がある」という意味で。 コマンドコントロールというアイデアは非常に曖昧だったが,概念として先進的であるとともに,リアリティを充足させる要素でもあったため,一時期のアナログシミュレーションゲーム界を席巻することになった
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