いつものろ~い更新とご訪問の私のブログにお越し頂きありがとうございます☆
写真はまたまた記事とは関係無いけれど、お気に入りのバスマットの上でご機嫌のぴよちゃん☆ぴよちゃんは何故かピンクがお好き!またまたピンクが私と違って似合う(笑)幸せカラーなピンクがぴよちゃんの周りには自然と集まります。ぴよちゃん専用ケージも専用毛布も専用ストーブも全部ピンク!ピンクなものが少ない我が家なのに不思議。
今日は時間が無かったので、書きためてあった記事で間に合わせですf^_^;コンサートのリハーサルや打ち合わせでちょっぴり忙しいので!(ようやく一昨日連絡が来ました)
今日は私が子供の頃に受けた、日本でのピアノコンクールの思い出を書きます。
コンクールは小学生の頃から、県のコンクールや毎日コンクール(全日本学生コンクール)、ピアノ教育連盟のオーディションなど、日本でも様々なコンクールを受けて、グランプリを頂いたものから、予選落ちしたものまで様々でした。ピティナは就いていた先生の意向で全く縁がありませんでした。県のコンクールなんかだと、とても和やかなもので、受賞商品が小学生の私よりも大きな犬のぬいぐるみだったり、図書券1万円分とかだったりしました。審査員の先生も、地方と言うことで気さくに話し掛けて下さって“ねぇねぇ、あの凄く大きな商品の中身は何だったの?”なんて聞きに来るぐらいでした(笑)
毎日コンクールあたりになると、雰囲気は一変!学校にもまともに通わずにピアノばっかり弾いているような子たちが結構いたり、ステージママみたいな親が付きっきりの子、芸能人は愚か“雅子さま”も知らないぐらいに世間のことも知らず、テレビも見た事がないような子、まさに戦いの場と言う感じでピリピリムード満点でした。県ではグランプリの私も、東京の異様な空気にすっかりビビり、小中学時代は毎回胃の痛い思いをしては予選落ちしたものです。高校にもなると、田舎者だって関係ないわ!と開き直って(笑)通るようになりましたが。笑ったのは、私の次の受験者だった東京の音大の付属高校の子が、私が演奏を終えて舞台のスソに戻ると
“えぇ、田舎なのに上手いんじゃんっ!ヤバ~い!もぅ~、先に言ってよ~。”と言ったこと(^_^;)何を先に言うんだ?(笑)余りにも素直なその子も難関の予選を通りましたが。
高校時代はコンクールを受けまくっていたので、1年にいくつもの予選、本選、受賞者演奏会などが重なって、その為、文化祭や修学旅行(韓国だったのに!)も行けずに終わりました。若かったので何てことありませんでしたが。何よりピアノが芸術と言うよりも、まだ戦いだった年代なのでツライとは全然思いませんでした。“一旗揚げてアッと言わせたい”と言う様な幼稚な功名心にも支えられていました(^▽^;)高校は地元の音楽系クラスのある高校だったので、何かと応援、優遇して貰ったものです。早弁をしては(笑)、休み時間はピアノの練習をしに走っていましたが、今思えばそこでムキになって練習しようがしまいが大して変わらなかったのになぁ。
ピアノの本質がまだまだわかっていなかったのに、がむしゃらに練習にコンクールにと走り回っていた頃です。しかし、ピアノ教育連盟のオーディションで偶然課題になっていたフランス音楽と初めて出会い、安川加寿子先生と出会い、これをきっかけにフランス留学に結び付いたのは何よりの収穫でした。若さの情熱と“私にはドビュッシーとかラヴェルのようなフランス音楽が合っているかも!”と言う激しい思い込みで(実は大して合ってはいなかったと思いますが(笑))渡仏したのですから!
しかしコンクールと言うのは、上手に使えば子供にとってはいい励みや刺激にもなるもの。コンクールを期に大きく成長したりもします。いい大人になってもコンクール病と言うのは困りものですが(笑)
国際コンクールの思い出にもまたいずれ!(もぅいいよ、なんて言わんといて~(^▽^;))
写真はまたまた記事とは関係無いけれど、お気に入りのバスマットの上でご機嫌のぴよちゃん☆ぴよちゃんは何故かピンクがお好き!またまたピンクが私と違って似合う(笑)幸せカラーなピンクがぴよちゃんの周りには自然と集まります。ぴよちゃん専用ケージも専用毛布も専用ストーブも全部ピンク!ピンクなものが少ない我が家なのに不思議。
今日は時間が無かったので、書きためてあった記事で間に合わせですf^_^;コンサートのリハーサルや打ち合わせでちょっぴり忙しいので!(ようやく一昨日連絡が来ました)
今日は私が子供の頃に受けた、日本でのピアノコンクールの思い出を書きます。
コンクールは小学生の頃から、県のコンクールや毎日コンクール(全日本学生コンクール)、ピアノ教育連盟のオーディションなど、日本でも様々なコンクールを受けて、グランプリを頂いたものから、予選落ちしたものまで様々でした。ピティナは就いていた先生の意向で全く縁がありませんでした。県のコンクールなんかだと、とても和やかなもので、受賞商品が小学生の私よりも大きな犬のぬいぐるみだったり、図書券1万円分とかだったりしました。審査員の先生も、地方と言うことで気さくに話し掛けて下さって“ねぇねぇ、あの凄く大きな商品の中身は何だったの?”なんて聞きに来るぐらいでした(笑)
毎日コンクールあたりになると、雰囲気は一変!学校にもまともに通わずにピアノばっかり弾いているような子たちが結構いたり、ステージママみたいな親が付きっきりの子、芸能人は愚か“雅子さま”も知らないぐらいに世間のことも知らず、テレビも見た事がないような子、まさに戦いの場と言う感じでピリピリムード満点でした。県ではグランプリの私も、東京の異様な空気にすっかりビビり、小中学時代は毎回胃の痛い思いをしては予選落ちしたものです。高校にもなると、田舎者だって関係ないわ!と開き直って(笑)通るようになりましたが。笑ったのは、私の次の受験者だった東京の音大の付属高校の子が、私が演奏を終えて舞台のスソに戻ると
“えぇ、田舎なのに上手いんじゃんっ!ヤバ~い!もぅ~、先に言ってよ~。”と言ったこと(^_^;)何を先に言うんだ?(笑)余りにも素直なその子も難関の予選を通りましたが。
高校時代はコンクールを受けまくっていたので、1年にいくつもの予選、本選、受賞者演奏会などが重なって、その為、文化祭や修学旅行(韓国だったのに!)も行けずに終わりました。若かったので何てことありませんでしたが。何よりピアノが芸術と言うよりも、まだ戦いだった年代なのでツライとは全然思いませんでした。“一旗揚げてアッと言わせたい”と言う様な幼稚な功名心にも支えられていました(^▽^;)高校は地元の音楽系クラスのある高校だったので、何かと応援、優遇して貰ったものです。早弁をしては(笑)、休み時間はピアノの練習をしに走っていましたが、今思えばそこでムキになって練習しようがしまいが大して変わらなかったのになぁ。
ピアノの本質がまだまだわかっていなかったのに、がむしゃらに練習にコンクールにと走り回っていた頃です。しかし、ピアノ教育連盟のオーディションで偶然課題になっていたフランス音楽と初めて出会い、安川加寿子先生と出会い、これをきっかけにフランス留学に結び付いたのは何よりの収穫でした。若さの情熱と“私にはドビュッシーとかラヴェルのようなフランス音楽が合っているかも!”と言う激しい思い込みで(実は大して合ってはいなかったと思いますが(笑))渡仏したのですから!
しかしコンクールと言うのは、上手に使えば子供にとってはいい励みや刺激にもなるもの。コンクールを期に大きく成長したりもします。いい大人になってもコンクール病と言うのは困りものですが(笑)
国際コンクールの思い出にもまたいずれ!(もぅいいよ、なんて言わんといて~(^▽^;))
