半分メモ代わりの更新。自分向けの。
自分の感情の言語化に成功すると、とても心地がいい。
自分がなぜそんな風に感じているのか、その裏側の考え方に気づかないうちは、どうも納得できず。ただあるがままにその感情を受け入れるということが嫌なので、常にその感情の裏側を追求してしまう。核心を捕まえられるまで、追いかけてしまう。(そのせいで迷宮入りしてしまうことも大いにあるのだが)
私は、言葉でわかりたい。
一例だけど、例えば「私はこの人に惹かれている」と思ったとき、私はその理由が知りたい。納得するまで分析してしまう。
この人の才能が素晴らしい、憧れ、素敵!と思ったときも、
つまりそれは、自分には才能がない、と感じているが故の劣等感からくるもので、
この人に認めてもらうことで自分の価値を保とうとしている、単なる承認欲求ではないのか。実はそもそも愛情ではなく才能への嫉妬なのではないか。とか。
この人は弱い部分があるから私が役に立ちたい、何かしてあげたい!と思ったときも、
この人と一緒にいることで自分の存在価値をどうにか認めようとしている、愛情からくるものではなく、単なる自己満足なのではないか。とか。
常に考えている。面倒くさいやつです。
本当はそんなこと、どっちでもいいのにね。
そんな裏側まで考えてしまう、知りたいと思うということは、つまりそれだけ自分に興味があって自分を知りたいということで、結局自分大好きでナルシズムの塊なんじゃないか。とか。
またそこで分析が始まって、キリがない。エンドレス。堂々巡り。
そして結局よくわからない。振り出しに戻る。
とりあえず一回黙ろうか、と自分でも思うくらい、とにかく面倒くさい。
(でも結局のところ、あれやこれや悩んだり考えたりが好きなんでしょうね。もう半分趣味みたいなもんですわ)
それでも時々核心に触れたときなんかは、ついに幻の生き物を発見!くらいの勢いで、一瞬テンションがあがる。
ここ最近、同世代もしくは少し上の世代の女性陣と深く話す機会が多く、そのおかげで今感じていることの言語化についに成功した。
その女性陣の全員が独身であるということで、こっち側の人間目線での考察に偏っているとは思うけど、むしろそれが自分には大いに役立った。
みんなそれぞれに戦っている、ということがよくわかった。(既婚女性が戦っていないという意味ではない)
保守的だと思っていた女性が(そうであることが悪いという意味ではない)思いがけずとても革新的なポリシーを持っていることを知ったときは、衝撃とともに、40代の女性の覚悟を見た気がして妙に納得して、神々しくさえ思えた。
その方のアドバイスはかなり深く刺さった。
以下は、関連のないように見える言語化。のメモ。
ただ私の中では、全てがリンクしている。
コンフォートゾーンにい続けるということは、腐っていくということ。
ぬるま湯も最初のうちは心地いいが、浸かり続けていると不快になっていく。ふやけていくだけで、いいことは何ひとつない。
一番最低なのは、被害者意識のぬるま湯に浸かり続けること。
誰かのために頑張るのは違う。
自分のために頑張る。
他人は決して自信を与えてくれない。
自分への絶対的評価で、自分に自信を与える。
常に神聖な場所を求めている。
唯一無二の神聖な場所を保つためには、一定の距離を取り続けること。
不用意に足を踏み入れることは、自分を傷つけることにもつながる。
覚悟がないなら、近づきすぎないこと。
以上。今日はここまで。
寝ます。おやすみ。