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日本語教師 タイそして中国

日本語教師としてタイで2年はたらいのち、青年海外協力隊として中国へ派遣された人のブログ
日常起こることを楽しく紹介できればいいな

頑張って書こうと思って、気づいたら前回の更新が去年の9月。
もう半年以上経ってました。

この半年を簡単にまとめます。

まず、10月に同窓会実行委員として動き始めて、12月に同窓会をして、1月から日本語学校で働き始めて、4月から大学院に通い始めました。

4年ぶりに日本にまともに帰ってきて目紛しく生地が変わり、慌てふためいております。

大学院は京都にある日本語教育の研究ができるところです。

今の所研究テーマは
「海外日本人日本語教師と学習者との授業外での交流の形~現地公用語の使用を中心に~」
としています。

1年で卒業するために単位と論文を同時並行なので、忙しくなりそうです。

ただ、日本語学校も大学も片道1時間半になるので、これからはブログがしっかり更新できるかなと思います。毎回似たようなこと書いて次は1年後とかなんですけどね。

今はまだ履修登録期間中でいろんな授業をお試しで受けているところです。
日本語教育について改めて勉強するのがすごく楽しいです。養成講座受けてないので、新鮮です。

大学卒業してから5年経って、今更大学院行ったら若い人について行けないだろうなと心配していましたが、そんなこともなく。そもそも、クラスメイトでさえあまり話す時間も無いほど自分の作業に追われています。

健康診断が学部生と同じ日程で、僕が検尿のためにトイレに入った時にプリントを落としてしまい。

「落ちたで。」

と言われ、少しイラっとしてしまいました。

自分が大学四年生だった頃は四年生=最高学年だから誰に対してもタメ口で良いと考えていた気もします。初対面の人に対しては敬語で話しましょうは社会人だけなんでしょうか。

云々、落ちたで君本人はそこまで考えていないでしょうが。こんなことで少しでもイラっとした自分に情けなくなりました。こうやって「最近の若い奴は」って言う大人になっていくんでしょうか。おそろしい。

初日から飛ばすとバテるの典型な感じになりましたが、日記がてらに書いていきます。


今日は久しぶりに奈良公園へ行きました。

相変わらず鹿は可愛いし、以前よりも外国人観光客が増えた気がする。

鹿に餌をあげてきゃっきゃする外国人観光客は鹿よりも可愛い。そういう姿を見るのは、海外の日本料理屋で美味しそうに日本料理を頬張る姿を見て微笑ましい気持ちになるのに似ていると感じます。

とにかく日本の物で外国人が喜んでる姿を見るのが何よりもの癒し。そこに日本語教師を目指したルーツがあるんですよね。

奈良の用事は中国の働いていた大学の後任の方が決まり、会える距離まで来られると言うことでお会いするのが目的でした。


お伝えできる限りの生活情報を伝えられたんじゃないかと満足。


いつも乗るバスや、買い物するならここ、などそんな情報を話していると記憶が蘇り、なんだかほっこり懐かしい気持ちになりました。


中国でぜひ頑張っていただきたいです。


そして、明日帰国後初めての出前講座へ行ってきます。


日本語教師養成講座の学校です。


養成講座を大学の副専攻で取ったので、この養成講座と言うのを外部で受けたことが無いのでどんなところなのか楽しみです。


日本語教師になりたいことがほぼ確定している人たちに対してのお話なので、とても充実した時間になるのではと考えています。


10月はこういった講座が多く、11月は中学校高校での講座があります。

人前で話すのは慣れていますが、日本人の前で話すのにはまた違う緊張があります。


外国人を前にして話すときに、最悪こんな話しても分からないから大丈夫。自分の話す日本語が教室の中で一番上手なんだから多少文法に無理があっても誰も文句を言わない。と言う気持ちで教壇に立っていたのですが、これからは日本人が相手。


下手なことは口走れない。緊張します。

日本語教師になってから、何度か出た話。どんな話かと言うと。

人が少なすぎて何か職を削らなければならない時、真っ先に削られたり

科学技術が進歩して外国語を話す必要が無くなったとき、必要性が問われたり


そんな職業なんじゃないかなって言う話です。


福島県の協力隊訓練施設で訓練中、体育大会がありました。

そこで、バスケットボールがあったのですが、足首を捻挫した人が居ました。


すぐに看護師や理学療法士の隊員が駆けつけてすぐ包帯巻に。


「足ケガしちゃった。」 「はいはい、治療しますね。」 これはかっこいい。



また別の日、やはり協力隊と言えばアフリカで貧しい人を助けると言うイメージが強いのも事実で、

貧困で食べるものもなく、水もない、井戸を掘る技術もない、そこへ出向く協力隊はすごい、と。


貧困でお金がないから日本語が勉強できない。だから、そこへ出向いて日本語を教える協力隊はすごいとはならんだろ、と。思うわけです。


経済的に日本人を雇う余裕がない田舎の学校に派遣されて、学習者たちに日本語を教えることを通じて世界へ目を向けさせる。いわゆるグローバル教育をなすことは非常に大切だと思う。


日本を知る窓口として活躍してくれています。と中国の先生に言われたときは嬉しかったな。

日本語を教えるなら日本人じゃなくても良いんだし、やっぱり日本人だからこそできることをやりたい。


もうここまで来たら後戻りできないので、自分がやりたい仕事だから続けていくんだけどね。

世間の目を気にならんくらい自慢できるように頑張ろう。


中国内モンゴルでの活動を終え、2015年7月に帰国しました。


帰国後すぐは日本の夏が暑くて、蒸し暑くて慣れるのが大変でした。



そして、2か月経った頃に頑張って研究計画書を書いて、無事に大学院に合格。


大学院では日本語教育について研究する予定で、日本語教師としてのスキルアップと学歴アップを目指します。



ブログ、日記と言うのはどうしてこうも続かないのか。

1年に1回書いてることがすごいけどな。


どうして、今日書いたかというと、昨日未だに付き合いのある小学校からの友だちが大阪のとあるパフォーマンスコンテストで優勝したから。


優勝賞金もらえるしっかりした大会で優勝したのを見て、感動を日記に書いておきたかった。


それと、もう一つその応援に一緒に行った友だちがとある夢のために頑張っていることを聞いたから。


何か昨日が自分のターニングポイントのような、何かふつふつとわきあがるキッカケになることが起こったから、ブログに残しておこうと思いました。


これから気が向けば、またその日一日のことを書いていこうと思います。

ブログに書かなければと言うことで、無理やりにでも何か行動を起こすんじゃないでしょうか。



本当にブログをほっておくクセが酷く、気づけば一年も経ってた。

一年経つとあれこれと事は起こっている訳で、一つ一つ書くのも面倒なので、ひとまず現状報告しておこう。


まず、高校で日本語を選択してる学生が0になったため高校での授業が無くなった。

校長先生の意向らしく、日本語より英語だろうって方針を強めたため日本語を学習する学生が減って、年々減少し、ついに今年0人になったと言うわけ。


大学の日本語学部の新入生もたったの10人。数年前は50~60人いたらしい。

人数が少ないと語学クラスとしてはやりやすい。

学生もこれだけ少なければ先生の話も聞かざるを得ないと言うもの。


相変わらず学生と教師の関係が日本より緩い。

日本で大学の先生を食事に誘うことなんてなかったし、誘われても緊張して話せなかったと思う。


敬語が無いのが原因なのか、ただ自分が外国人だからなのか。


そろそろ中国に来て一年半経つ。

先週の日中首脳会談の結果は結構影響してる。


去年は飲みに行った先とか、タクシーの運転手に日本人だとばれると嫌な気持ちになるようなことされてた。

でも会議の後、知り合いの人と会えば

「これから日本と関係が良くなりそうですね。安心しました。」って言ってくれる。



タイに居た頃もタイ全体が好きになることは無かったし、中国もそうだろう。

ただその地域の自分の知っている範囲の中国人は好きになって帰りたい。


中国では日本人だから懇意に親しくしてくれる人はほとんど居ない。

自分だから仲良くしてくれる人は居る。

難しいなぁ。