北口本宮冨士浅間神社 | 山梨市日和♪~みんなでやるじゃん~

山梨市日和♪~みんなでやるじゃん~

山梨市を「大好きなまち」にする会 根津和博のブログです。
「山梨市に住みたい」と思っていただけるような
まちづくりを目指しています。
合言葉は「みんなでやるじゃん」。
ともに活動してまいりましょう♪

{B7E38C3D-E692-48E8-8BD8-B67EEC8453F1}

富士山世界文化遺産の構成資産のひとつ北口本宮冨士浅間神社におじゃましてきました。


北口本宮冨士浅間神社は、古来より社中に「諏訪の森」が位置し、諏訪神社の鎮座地に浅間神社を勧請したと伝わっています。

主祭神は、木花開耶姫命(コノハナノサクヤヒメ)で、その昔、天照大神(アマテラスオオミカミ)の孫である瓊瓊杵命(ニニギノミコト)の子を一夜で身篭りましたが、瓊瓊杵命は国津神の子ではないかと疑いました。

そのため木花開耶姫命は、疑いを晴らすため、誓約をして産屋に入り、「天津神である瓊瓊杵命の本当の子なら何があっても無事に産めるはず」と、産屋に火を放ってその中で火照命(ホデリノミコト、海幸彦)・火須勢理命(ホスセリノミコト)・火遠理命(ホオリノミコト、山幸彦)、の三柱の子を産んだと言われています。


そのため富士山の噴火の火を抑える力があるとされたことから祀られたといわれています。

ちなみに火遠理命の孫が初代天皇の神武天皇になります。


甲斐国志によると、永禄四年(1561年)に武田信玄は吉田の諏訪の森の木を伐ることを禁止し富士権現を造営したと記載があり、これが現在の北口本宮冨士浅間神社の元といわれ、その後、元和元年(1615年)に谷村城主・鳥居土佐守成次が現在の本殿を建立し、貞享5年(1688年)に社殿が造修されました。


江戸時代は富士講の参詣者を多く集め、吉田口登山道は本道としておおいに栄えたそうです。

{0421B551-B052-468A-B28C-A81388B35DDE}

拝殿の前の両脇には樹齢千年から数百年の「富士太郎杉」「富士夫婦檜」の名を持つ大きな御神木があり、本殿裏手の富士二郎杉、諏訪社の前の両脇の杉などとても見応えが有りました。


また、拝殿ではちょうど神前式の結婚式が執り行われており、幸せのおすそ分けをいただきました(*^_^*)