福島の復興への道のり
今朝も大きな揺れとともにあの忌々しい津波と原発事故を思い出します。。。
先日、南相馬へ向かう途上、ナビゲーションの誤作動で、富岡町・大熊町をぐるぐると回らせていただきました。
何故、ナビが全く目的地と違う行き止まりの道を何度もさしたのかは、未だに謎ですが、そのお陰で、今も辛く長い震災のつめあとをありありと目に焼き付けることとなりました。
幹線道には無言の白いトラックの往来、除染作業を続ける作業員に除染廃棄物の仮置き場があちらこちらにあり、家や店舗の入り口には大きなバリケードが設置され、物々しい雰囲気でした。
常磐道に戻り原発までほど近い線量計を見ると、4.3μSv/h。
私たちの地域では考えられない数値。
未だに自宅に帰宅することができない、多くの人が居ることが心に突き刺さりました。
同じ国に住む私たちが今できること‼︎
物資や金銭的な支援はもちろんですが、心のケアに向けた継続的な取り組み。
そして、再びこのようなことが起きないように、震災を風化させず、確かな改善策に向けて歩み始めることだと思います。
夢のエネルギーであった原発、その背景で首都圏に送電するために地方が抱えているリスク。
更には除染作業により莫大な公共事業が、これまた首都圏の大手ゼネコンに流れている現実。
忘れもしない5年前の計画停電。
首都圏は経済優先で停電のない中、私たちの町でも電気の使用が制限され、何度となく暗く辛い感覚を味わったことを思い出します。
ただでさえ売り上げがおぼつかない地方において、商店の営業ができないことは家族を支えることすら困難と思えるくらいの消費の冷え込みと重なり、まさに茫然自失という状況でした。
東京という日本の中枢のために、人・物・金を吸い上げられてきた地方が、被災してもまだ東京のために非を被っている現実。
あの、暗く心を閉ざすかのような暗闇で、明日をも知れぬ思いを巡らし、家族で寄り添った時間。
当たり前だった日常が、こんなにもありがたいと思ったひと時は、大きな災難がなければ、気づくことができないほど、日本人は平和ボケして、鈍感になっていたのだと思います。
そして、その時見上げた星空は、いつもより鮮明に美しく、ただただ眺めては復興を願っていたことを思い出します。
きっと福島も宮城も岩手も茨城も千葉も青森も何処にいても、そこから眺める星空は同じ空だということ。
同じ空の下で疲弊したり、苦しんだり、泣いたり、している人がたくさんいるという現実を直視した出来事でした。
あれから5年が経過して、私たちは、日本人はどのように心持ちを見つめ直したのか?
そんな事を深く考えた1日でした。
皆さんも、当たり前の幸せの裏側‼︎
見つめ直してみてはいかがでしょうか(*^_^*)