三富上荻原を散策 | 山梨市日和♪~みんなでやるじゃん~

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山梨市三富村上荻原を散策してきました。
この地域は古くから秩父往還下釜口の要所であり、勇将荻原氏の屋敷跡と伝えられています。

東山梨郡誌には、荻原常陸介昌勝が武田信虎の幼時弓術の指南役であり、大永元年の駿遠から今川勢の福島兵庫頭正成が侵攻してきた折は、原美濃守とともに飯田河原にて奇計を以てこれを打ち破ったと記されています。

昌勝の嫡男である荻原豊前守忠茂も信玄に仕え、雁坂口城山の守備を担い、主家滅亡後は当地に帰農したと伝えられています。
また、荻原家は、武田義信の守役で知られる飯富家(虎昌)と親類にあたり、武田4名臣の山県昌景も従兄弟にあたる名家であります。

奇しくも、山県昌景の末裔がこの集落の上にある川浦にて温泉宿(山県館)を経営しているのも因果なものであります。

それにしても山梨市は武田の中核をなす人材の宝庫‼︎
御親類衆の栗原氏に始まり、百足衆の徳和、倉科衆の中牧、万力衆の万力筋とこれまた贅沢‼︎
更に鎌倉期まで遡ると甲斐源氏の安田氏の本願地でもあります。

しかも、その安田氏の4名臣の武藤氏は牧丘の出で、その後南アルプス甲西町に移ったとされています。
ちなみに戦国期にはこちらの武藤家に若き日の真田昌幸が養子に入ったわけであります。

NHK大河の真田丸に沸く上田に沼田に松代や九度山‼︎
よくよく考えれば長篠の合戦前に生まれた真田信繁(幸村)は、おそらく山梨県生まれなのではないでしょうか♫

ま、話は長くなりましたが。。。
田舎にはまだまだ古き日本の歴史を偲ばせる旧跡が点在しています。
この上荻原もその一つ‼︎
地域資源の掘り起こしと磨き直しを心がけていきたいと思います(*^^*)