大正12年(1923)9月1日正午前に起こった関東大震災(マグニチュード(M)は、7.9から8.3の推定)。死者10万人以上。
浅草育ちの私は、父から何度も大震災の話しを切り返し聞かされてました。
私の祖父は上野で大きな呉服商を営む傍ら、謡曲や陶芸支援など幅広い趣味の持ち主でした。
神奈川県の辻堂に別荘を建てて、代金を大工棟梁に支払いに出かけている時に、
大地震が起こったそうです。
父の兄弟4人の内3人は欅一枚板のちゃぶ台に潜り込んで、助かったそうですが、末の弟は
押しつぶされて亡くなりました。
小さい頃、食事していた丸いちゃぶ台がその時のモノだったとは、父が亡くなってから聞きました。
資料によれば
9月27日、帝都復興院が設置され、総裁の後藤新平により帝都復興計画が提案された。それは被災地を全ていったん国が買い取る提案や、自動車時代を見越した100m道路の計画(道路の計画には震災前の事業計画であった低速車と高速車の分離も含まれていた)、ライフラインの共同溝化など、現在から見ても理想的な近代都市計画であったが、当時の経済状況や当時の政党間の対立などにより予算が縮小され、当初の計画は実現できなかった(後藤案では30億円だったが、最終的に5億円強として議会に提出された)、書かれてます。
後藤新平は大風呂敷と言われ、100m道路など100年先を見通した計画だった。
91年後の平成28年では、もっと大風呂敷を広げても良かったのかも知れません。
現在の政治家や実業家は、小風呂敷と目先主義で、未来に希望が持てませんね。
又そんな人達を選んでいる我々も目先に走ってます。




