Guinevere Van Seenus(1) | Woke Up In the Beautiful World

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女優・モデル・音楽…美しいものは世界を救う!!
主に海外モデルを中心に紹介します。

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グィネヴィア・ヴァン・シーナス
Guinevere Van Seenus
1977年9月15日生まれ アメリカ出身
176.5cm

単に気になるモデルだったはずが梅雨頃からじわじわハマってしまったグィネヴィアをご紹介。謎が謎を包むモデル界最大のミステリアスガール、グィネヴィア!“グィネヴィア”って言いたいだけ!


オランダ人の両親の元、ワシントンD.C.にて生を受けたグィネヴィア。グィネヴィアが10歳になると家族はカリフォルニア州サンタ・バーバラへ引越し、元々アムステルダムでもナチュラルフードの店を経営していた父親ヒューゴはその地で新たに健康食品の店を展開したのだった。そしてそれ以来、<全米一の健康食品店>との評判を得るまでの成功を収めた。母親は時間が許すときは趣味程度に女優業に費やし、一度は夫を亡くした妻役で地元の病院の教育ビデオに出演したこともあるという。
モデルへのきっかけはそんな母親からの勧めだった。グィネヴィアが15歳になり、ハイスクールに上がると母親によりモデルスクールに入れられ、放課後になるとモデルのクラスに通った。地元のカタログや雑誌の仕事をこなしたが、その頃は単なる趣味として、アルバイト感覚でのモデル業だったという。
ハイスクール時代のグィネヴィア、いやシーナス家は“おかしな家族”で有名だった。それというのも両親が自宅でサイキック的集会を開いていたためである。瞑想やオーラ、<特別な光>による癒しなどという類いの精神世界をご近所に説いていたのだ。


16歳になるとNYの大手事務所に売り込みに行ったが、『時間のムダ』だと言われ帰されてしまった。しかしそこでめげなかったグィネヴィアはパリへ向かい、そこで『すぐに私と会いたがってくれる人達を知っている』エージェントに出会い、そのエージェントはパオロ・ロベルシやピーター・リンドバーグやマリオ・テスティーノといったフォトグラファー達へ売り込みに行かせた。その個性的なルックスからか彼らに『一目見て私を気に入ってもらえた』、そんな彼女にブレイクが訪れたのは96’シーズン。

当時まだ無名に近かったグィネヴィアはJil SanderとChanelの広告に抜擢されたのである。すると3月にはW誌にて自身初の表紙を飾り、5月にはi-Dの表紙にも選ばれたのだった。こうして徐々に名を広めつつあった97fallには後にも先にも最多の約40のショーに出演し、10月にはマイゼルの下でキャロリン・マーフィーと共にイタリア版Vogueの表紙を飾り、同表紙には翌11月にも登場した。そして年末には受賞こそケイト・モスという当然の結果になったものの、VH1/Vogue Model of the Yearにノミネートされた。

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ハイスクール時代はバスケ選手でした

しかしこの成功に満足してしまったのか、時期早々にモデル業に疲れたグィネヴィア。所属事務所の<IMG>は『学業に集中するために休業』と公表したが、それは事実とは少しばかり異なっていたのだった。『自分で何とかしなくちゃいけなかった。学校か何かにも行きたいとは思ってたのに、当時は眠る暇もないくらい働きすぎてたの。沢山のお金を稼いだのに何もしてなかったわ。全く楽しむこともなかった。死んでるも同然だった』
そして二匹の犬と家をNYに買い、ボーイフレンドと暮らしたという。

加えて97年上旬にはこんな噂も囁かれた。それは<彼女は体重が53kg“も”ある>ためにショーには出られないだろうということだった。そして彼女のエージェントはグィネヴィアは未だNYのショーにブックされていない、仕事する気があるのかもわからないとさえ言った。


活動を徐々に再開させた98ssには12のランウェイを歩き、6月にはドイツ版Vogue、秋季にはVersaceの広告に登場。年末にはピレリカレンダーにも登場した。
2000年頃より同時期のモデル達同様に再びモデル業から離れた時期はあったものの、2004年からは本格的に仕事に復帰。04年はマート&マーカスとW、イネス&ヴィノードとHarpers Bazaarでのエディトリアルをこなすと、Marc Jacobs Blush Parfumの顔に。翌年には夏季におけるKenzo、Moschinoの広告を獲得し、11月にはNumeroの表紙を飾った。06-07年と順調に仕事をこなしたグィネヴィアは翌年2008年以降最もモデルとして輝かしいキャリアを歩いていった。1月にはマイゼルの下イタリア版Vogueの表紙を飾り、4月にはミカエル・ジャンソンとフランス版Vogueに登場し、8月になるとW誌でパオロ・ロベルシ、V誌でセバスチャン・ファエナと、イタリア版Vogueでマイゼルによるサンローラン追悼エディトリアルに登場した。08fallのFree Soul、John Galianoのフレグランスの広告を 獲得した後に9月にはハヴィエル・ヴァロンラットとのイギリス版Vogue、ロベルシとイタリア版Vogueで仕事をすると、11月にもイギリス版・イタリア版Vogueに登場した。


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in Vogue Paris

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(Left)NARS cosmetic
(Right)Chanel 96spring


09ssではコマーシャルモデル向きではないにも関わらず、ck One Fragrance、Jones NewYorkを含む4つもの広告を掴んだ。そして8月にはミューズであるパオロ・ロベルシの写真集<Guinever Van Seenus>が出版されるなど、普遍的なキャリアの高さと人気を証明させたのだった。
2010ssでもLa Perla、秋季にはDiesel Black Goldの広告を手にした他、6月の10誌秋季号ではファッションフォト全てグィネヴィアのみ起用という待遇を受けた。この年は過去最高と言えるほどに各国ファッション誌にて数えきれない程のエディトリアルに起用されたのである。
今年2011年に入ってもそのフォトグラファー達からの寵愛ぶりは変わらず、Muse誌春季号ではキャロリン・マーフィーと久しぶりの共演を果たし、1月にはRodarteのショートムービーにソロ出演。6月にはイギリス版Vogueでロベルシと“ネオ芸者”なるエディトリアルをこなし、1fallではマイゼルの下Monclerの広告へ、2012 resortではMiu Miuの広告に登場した。

主な広告はBottega Veneta,Chanel,Calvin Klein,Dolce & Gabbana,GAP,Versace等々。