One of the Best ever | Woke Up In the Beautiful World

Woke Up In the Beautiful World

女優・モデル・音楽…美しいものは世界を救う!!
主に海外モデルを中心に紹介します。

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今年初めのWoman on the Fenceという女性活動団体かなにかでのクリスティーのインタビューをご紹介します。Careでの活動や彼女が参加したドキュメンタリー『No Woman,No Cry』のことなど色々話していますが、例によってブログ主が個人的に興味のあるところだけ抜粋しました。


EXCLUSIVE:An Interview With Cristy Turlington Burns
January 10th,2011 Women on the Fence
Sorce & Credit:womenonthefence.com
Translate:Mia


子どもの頃、3姉妹の真ん中だというのはどういった感じでした?三人も女の子が集まるなんて耐えられないと思わずにはいられないのですが!
―二人も姉妹がいて良かったと感じているし、真ん中にいるからこその物事の視点もあるわ。特に今はみんな母親になっているし、良い友人同士でもあるの。だから娘にそういう経験をさせられないことを少し申し訳なく思っているんだけど、娘には女の子の従姉妹が沢山いるから大丈夫ね。姉も妹も私より前に母親になっているし、二人とも赤ちゃんを授かったばかりなの。私達は一緒の時間を多く過ごしていて、特に夏になるとみんなNYに来てくれるわ。だから休日の間は2週間くらいベイエリアで一緒に過ごすことにしてるの。二人とも私の大好きな人達よ。

モデルへのきっかけは?
―姉のケリーと乗馬を習っていたとき、ある日放課後に二人でレッスンしていたらフォトグラファーが母に私達の写真を撮らせてほしいってアプローチしてきたの。その頃はフロリダの南部に住んでいて、初めてのモデルの仕事は地元のデパートとカタログだったわ。14歳だったし歯列矯正していたものだから場違いな気がしてたし、そんな私に興味を持ってくれるなんて少し驚いていたの。でも私は背が高かったからね…。両親から経済的に独立する良い機会だってすぐに思った。それに世界を見られる機会でしょう。

大きなクライアントと独占契約するというのはどうでしたか?最高のモデルの一人であり、この先も歴史に残るであろうファッションアイコンであるということは?今でもFreedomのビデオやその中でのあなたを知っていますし、私のお気に入りなんですよ。
―最初にオファーがあった契約はカルバン・クラインね。まだ19歳だったわ。ああいった誰もが羨むような契約に選んでもらえたことは光栄だったけれど、実際はそんなに良いものではなかったのよ。独占契約のおかげで私は沢山働かずによくなったけれど、彼らの言うことは何でもやらなくてはいけなかったの。それに突然来た自由に対して準備ができていなかったし、1年も経つと他の仕事が恋しくなったわ。二つ目はメイベリンよね。30歳のときに自分のスキンケアラインをやり始めてから何年か経って、メイベリンとの契約が切れたけど、その5年後に私が二人目の子どもを妊娠しているときに彼らが再びオファーしてくれたの。そのときからの契約を今でも結んでいるわ。
ジョージ・マイケルの<Freedom>はあの時代の素晴らしい思い出でありストーリーだと思うわ。私達のグループが飾ったイギリス版Vogueの表紙を見たジョージから新曲のビデオに出てほしいって言われたの。私達みんな世界中別々の場所にいるし、スケジュールを合わせるのは難しかったわ。だけどフォトグラファーのハーブ・リッツ(彼は映画監督のデヴィッド・フィンチャーとジョージ・マイケルの友人だったの)が私達全員に電話を掛けて、一人一人に出演するよう働きかけたのよ。デヴィッドが映画を作ってたからロンドンでビデオの撮影をして、リンダと私以外のみんなは別々の日に撮ったの。素晴らしい曲だし、20年経ってもそれは変わらないわ。

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クリスティー、ジョージM、リンダ。Wow !
PETA and Anti smoking campaign
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キリマンジャロ登頂


モデル業の好きな(好きだった)ところ、嫌だったものは?素晴らしい成功の中にいて、ここに来るまでの一番の苦しみは何でしたか?
―10代でフルタイムのモデルを始めたときは仕事を楽しいだなんて思わなかった。仕事のペースは良すぎるくらいだったけれど、失うものも大きかった。モデルが“仕事”になってしまった頃もあるし、学生でいる時間も少なかった。モデルであることだけが私のアイデンティティーの全てだと感じるようになって、それが嫌でたまらなかったわ。でも幸い私には長期契約のおかげでそういったものから一歩遠ざかれる安全性のようなものがあったし、大学へも二度通うことができた。最初に通ったのは26歳でNYUに行って、30歳で卒業したわ。今は母親になって再び大学へ通って、42歳で、モデル業も楽しんでいるのよ。モデルの行為は少し馬鹿げている部分があるし、それ自体は面白くも楽しくもないけど、モデル業を通じて旅をすることは大好きなの。そこで一緒に働く友人達と過ごすとまるで女王様みたいに扱ってくれて、若い頃はそんなことなかったからとても有難いと思ってるわ。

ヨガとの出会いは?ヨガがあなたの精神や身体にもたらしたものは何ですか?
―ヨガとは人生の早い時期に出会って、とても幸運なことだったわ。19歳のときにヨガとその瞑想をやり始めたの。ヨガはまさに人生の鍛錬であって、私の一部のようなものになった。特に比較宗教学を学んだNYUに通い始めた頃から傾倒するようになったわ。禁煙した頃に父が病気になったことも一因してるわね。父は人生のほとんどの時期を喫煙していて、病気にかかって間もなく亡くなってしまったの。そういったことにおいてもヨガは立ち直る力になったし、ヨガを取り入れた健康法や最近私がやっている支援活動といった他のビジネスへの道への導きにもなったわ。それにヨガのおかげで登山(キリマンジャロ)や二回の自然分娩も乗り切ることができた。この15年間のあらゆる物事に対してヨガに感謝しているわ。自分のなりたい人物像に近づけたと思うし、いつかそうなれると思うの。



クリスティーといえば、つい先日実家で夏のサンダル探してたらヌアラのシューズケース見つけて、「ヌアラ!」とかちょっとびっくりして中を確認したら入ってたのはTanino Crisciだったな…私のじゃないけど。ヌアラの箱に入れられてるなんて、タニノがミラノで泣いてるよ。