Wilhelmina(2) | Woke Up In the Beautiful World

Woke Up In the Beautiful World

女優・モデル・音楽…美しいものは世界を救う!!
主に海外モデルを中心に紹介します。

Woke Up In the Beautiful World


一方モデル事務所の社長、エージェントとしての彼女は業界に珍しい何でも相談できるモデル達の母親のような存在として有名だった。それは彼女自身がモデル出身であること、人の痛みやモデルならではのトラブルを当事者としてよく理解していたからであった。そしてウィルヘルミナを愛する人間も多かった。とりわけ問題児ジア・キャランジにとっては心の支え、第二の母として大きな存在だったことは知られている。

ワーカーホリックであったウィルヘルミナは事務所の経営をしながらモデルも続けており、1979年12月には39歳で自身最後となった表紙を飾った。その翌月、長年ヘビースモーカーだったウィルヘルミナは、肺炎の検査のために訪れた病院で肺癌であるとの診断を受けた。それは末期の肺癌であり、すでに手の施しようはない状態だった。
その後の事務所は不穏な雰囲気に包まれた、誰もが不安を察するような状況であったという。その上この頃のモデル業界は《モデル戦争―Model War―》と言われる熾烈なモデルの引き抜き合戦の中にあり、ウィルヘルミナの病状が事務所の未来を左右することは目に見えて明らかであった。その中でも彼女は病室から声を潜め事務所に電話を掛け、モデル事務所の社長としての責任を果たそうとした。しかし夫のブルースは打ちのめされ、経営者としては役に立たず、家でも浴びるように酒を煽っては暴れたという。


Woke Up In the Beautiful World
Beautiful Wilhelmina


1980年3月1日、40歳でウィルヘルミナは亡くなった。告別式にはモデルを含め多くのファッション関係者が出席し、用意した式場では足りないくらい人で溢れかえった。

しかしウィルヘルミナの下で女性モデル部門を任されていたケイ・ミッシェルは言う。『告別式にはブッカー仲間と行きました。仲間のひとりに“ケイ、席を取っておいてくれるかな?すぐ私も行くから”と言われましたが、彼女は15分経っても20分経っても姿を見せませんでした。彼女は外で他の事務所に自分を売り込んでいたんですよ。それに、<Elite>の社長が式の外で参列者に声をかけたり、ウィリーが死ぬ直前にはうちのモデル達に接触して、“彼女は癌なんだよ。彼女がいなくなったら君の所の事務所はダメになってしまうだろうね。うちへ来たらどうだい?”なんて言っていたという噂までありましたからね。悲しみに暮れている時間すらないようでした』。
ジア・キャランジが『ウィリーが死んだとき、多くの人達が何とも思ってないようだった』と言っていたように、そんな最中でさえ、外ではモデルをスカウトする声が聞こえたという。

その後夫ブルースが死去した際に娘のメリッサは父親の遺灰が入った瓶を蹴りあげたが、せめて『母の為に』と棺にウイスキーボトルを放り投げた。母親は惨めで不完全な私生活に向き合い立て直そうとする代わりに、タバコを吸うことで自らを殺す道を選んだとメリッサは思っている。
40年という短い生涯で、飾った表紙は255、そしてUS Vogueの表紙を飾った27回という記録は未だに破られていない。私生活で自分を守れなかったのとは反対に、自らのモデル達に対しては親身に相談に乗り、愛情を注いだ。



ウィルヘルミナを検索すると、ジア・キャランジばっかりが引っかかってしまいました。この方、あれだけ活躍していたのに、とても情報が少ない。ついでに推薦図書を紹介しますが、マイケル・グロス著の「トップモデル」という本はとても面白いですよ。何年か前に出会った本で私のバイブル、このブログの基礎みたいなものなのですが、かなり興味深い。当時のNY Magazineに寄稿していた内容が多く(この記事もNY Magazineから翻訳させていただきました)、非常に長いですが和訳版はちょいちょい割愛されている部分が多いので和訳版より英語版の方がおすすめです。興味のある方は是非。