Wilhelmina(1) | Woke Up In the Beautiful World

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女優・モデル・音楽…美しいものは世界を救う!!
主に海外モデルを中心に紹介します。

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Wilhelmina Cooper(モデルネーム:Wilhelmina)
ウィルヘルミナ・クーパー

1939年5月4日生まれ オランダ出身
178cm


以前リクエストのあったジア・キャランジを取り上げようと思ったんですが、ジアを知る前にこの方を紹介しておかねばならぬというわけで。モデルの歴史上、そしてジアを語るには欠かせない存在である60年代のトップモデル、“ウィリー”ことウィルヘルミナを紹介します。

その前に関連記事Modeling Agency でも見ていただければちょっとわかりやすいかもしれません。時代的にはジーン・シュリンプトン とかの頃ですね。



1939年、肉屋の娘としてオランダで生を受けたゲルトルート・ウィルヘルミナ・ベーメンブルグ。世界一の肉屋になると夢見ていた少女は後に世界一のモデルへなるのだった。
英語も話せぬ彼女だったが、14歳で一家はアメリカへ移住し、興味を持ち始めたファッションを通じて英語を習得していったという。1956年、友人の付き添いで行ったはずのウィルヘルミナだったはずが、背の高さと美しさを買われてスカウトされたことでモデルキャリアを進むこととなった。しばしローカルレベルでのモデル活動を続けていたものの、20歳になる頃にはNYへ移り<Ford>と契約に至り、すると瞬く間にトップモデルへとかけ上がった。それは当時の《オートクチュール時代》において彼女の持つモダンな美しさ、エレガントな容姿が非常にマッチしていたということでもあった。雑誌の表紙を次々と飾り、1964年になると“モデル業界のトップに登り詰めた”と言われるほどになり、彼女の仕事は何ヶ月も先まで予約でいっぱいになった。
モデルを始めた頃は71kgだった彼女は10kgの減量を余儀なくされるほどであり、モデルを成功した後も常にガードルを着用して体を締め付けていた(とはいえこの頃のモデル達のほとんどがガードルを着けていた)。『私は常に太ったモデルだったのよ』と言っていたウィルヘルミナの食事は週2回、その間はタバコとコーヒーでしのぎながら倒れそうになるとスープを口にするという程だった。しかしウィルヘルミナはモデルとしての名声を高めていけばいくほど服が彼女のラインに合わせるようになっていった。そして同時期に活躍したツィギー、ジーン・シュリンプトン、ヴェルーシュカに比べるとウィルヘルミナはより“モード”を体現していると評された。1965年にはテレビ番組のプロデューサーであったブルース・クーパーと結婚し翌年には長女を出産したが、キャリアは相変わらず順調で、最も高給なモデルになるまでであった。


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1967年、その年は彼女の人生の大きな転機だった。

『私にとってモデル業は最終的なゴールではなかったの。』と、モデルキャリアのピークにあったウィルヘルミナは共同経営者として夫と共に自らの名前を冠したモデルエージェンシー<Wilhelmina Models>を設立した。この新しいチャレンジに対するウィルヘルミナの背中を押したのは誰でもない夫ブルースであった。<Ford>の社長であったアイリーンは自らがプロとして育てあげたウィルヘルミナが突然モデル業界のライバルになってしまったこと、事務所の稼ぎ頭を失ってしまったこと、その彼女の一念発起を裏切りと取り、しばらくの間両者の確執は拭えなかった。

とはいえ<Ford>から抜けたウィルヘルミナには仕事の依頼が殺到。事務所の束縛なしに彼女を自由に使えるという強みは、同時に<Wilhelmina Models>にはウィルヘルミナしかいないという弱みでもあったものの、それも始めのうちだけであった。それというのも彼女にはモデルとしてだけではなく、経営者としての力量も大いに備わっていたからだ。いや、モデル以上だったかもしれない。アヴェドンやフランセスコ・スカヴロ、ピーター・ビアードといった知り合いのフォトグラファーに声をかけて自分のモデル達を撮らせたり、積極的にヨーロッパへスカウトを送るなどし、70年代半ばまでにはNY一のモデル事務所になった。
そしてモデル業界における彼女の最大の功績は多種多様なモデルを起用し成功を掴ませたことである。60年代後期には社内の大反対を押しきって初めての黒人モデル、ナオミ・シムズを、70年代にはイマンやストリートでエキゾチックなジア・キャランジなどのスターモデルを育てて売り出した。

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with Her Family.


NY一のモデル事務所の社長、何もかもが完璧のような美女、クチュール時代最期のスターと言われるウィルヘルミナ。彼女を知ろうとすれば、目にするのは輝かしいキャリアと功績の数々だろう。アルコール中毒の夫から受けていた日々の暴力は、まるでそんな事実は存在しなかったのように周知されていない。夫のブルースは酔っ払ってはウィルヘルミナを殴り、ウィルヘルミナはあざを作って撮影に来たという。そしてそのあざを隠すためのメイクアップをよく心得ていた。二人の子どもが出来てもそれは変わらず、酔うと妻も子どもも見境なく罵り暴力を振るおうとする夫に対して、ウィルヘルミナは子ども達を守るために家の人部屋に鍵をかけてふたりを匿ったが、自分を守ることはしなかった。その上ブルースは女たらしであった。あらゆるモデルと寝ては、妻ウィルヘルミナのカードでホテル代を支払い、酒を飲んで暴れ、ウィルヘルミナを殴った。彼女は決してこの状況を人に打ち明けることはしなかったが、人前でもウィルヘルミナを怒鳴る夫の姿、あざを作って出勤する彼女の姿を見ていた親しい人々にとっては周知の事実であったようだ。