Carmen Kass | Woke Up In the Beautiful World

Woke Up In the Beautiful World

女優・モデル・音楽…美しいものは世界を救う!!
主に海外モデルを中心に紹介します。

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Carmen Kass
カルメン・カース
1978年9月14日生まれ エストニア出身
179cm

美人の多いエストニア出身のベテランモデル、カルメンをご紹介。
幼い頃は農場で働きながら女手一つでカルメン兄弟(姉と兄を)を育てる母親と、小さなアパートで暮らしていたカルメン。穏やかな海況であるバルト海を臨みながら非常に難しい国エストニアにあって、首都タリンで生まれ育った彼女。当時ソ連の監視下にあったエストニアで、彼女の家はテレビ塔の下に構えていた。

周りにはソ連軍があちこちにおり、彼女もやはりその頃の記憶には強いものがあるそう。

『学校の帰り道、花を摘みながら歩いていたら急に道路が揺れ始めたの。角を曲がったところから戦車が来たわ。戦車が沢山来て、彼らは銃を抜いたの。私は橋の下を走って、彼らが去るのを待った。すごく怖かったわ。そしてその夜、彼らは(ソ連軍)テレビ局を占拠したの』

加えてカルメンたち家族が住んでいたワンベットルームのアパートは犯罪多発地区のにあった。『家のチャイムが鳴る度に母は家中の枕を集めて私たち兄妹を囲うの。そして私達は自衛のために母からナイフを渡されるのよ』。そして現在でこそ世界のトップデザイナー達の服を着こなしている彼女だが、幼少期は『みんなスカンジナビアから入ってくる大量の服を手に入れてた。私なんかは本当におかしな組み合わせを着ていたのよ。不恰好すぎて、何て説明したらいいかわからないくらい』

1991年にエストニアが独立宣言を果たすと、彼女の未来はまるで母国と同じように開いていったのだった。


モデルへのきっかけは13歳のときに地元のスーパーマーケットでイタリアから来たエージェントにスカウトされたこと。しかしすぐには状況が飲み込めなかったという。『まず思ったのは、この人一体何なの?ってこと。次に思ったのは、モデル業って何?って』。また、退屈な10代の日々にうんざりしていたカルメンは、『こんな感じだったの。モデル業、モデル業…それが何であろうと、とにかくここから出たい!これは国を出て世界を見るチャンスなんだわ、ってね』
ミス・エストニアを目指していた彼女は、迷った末に魅力的で儲かるモデルを選んだ。そしてその頃母親からモデルになることを反対されていたカルメンは、他の多くのモデルがやってきたように事務所への契約書を偽装してキャリアをスタートさせたのだった。カルメンに高校くらい卒業してほしいと、モデル業に反対していた母親を尻目にカルメンは14歳でミラノへ向かった。しかしモデルを始めた当初は友達もおらず、喋ることもしなかったという。そして再三に渡り、その薄い唇をどうにかする必要があると、つまり“お直し”する必要があると言われ続けたのだ。そんな耐え難い屈辱にあったカルメンは事務所を離れようとしたが、エージェントは彼女を離そうとせず、パスポートを隠してしまう始末だった。そこでカルメンは強いエストニアガールらしい行動に出た。

『ナイフで彼を脅したの。そうするしかなかったから。結局彼は諦めたのよ。私は本気だったもの』


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18歳でパリに移った彼女は、たった3枚の写真しかないポートフォリオを携えて仕事を貰うために走り回る日々を送っていた。独りでパリに来たカルメンの不安と寂しさは、当時彼女を見てお墨付きを与えたカーラ・ブルーニの存在でいくらか軽減されたそうだ。また、初めてカール・ラガーフェルドの元へ売り込みに行った際にはこんな印象を受けた。

『彼はあのサングラスをかけていて、私を見てるのかすらわからなかった。私のブックを開いてもくれなかったし、ウォーキングについても聞かれなかった。少し時間を置いてブックを返してくれたの。“ありがとう”って、そんな感じにね。』そしてエレベーターを降りていく間、彼女は少々つけ上がった悪態をついた。『最低。なんで3枚の写真すら見ないの?なんでウォーキングをさせてくれないの?どうして少しのチャンスもくれないのよ?って』。しかしそのときのカルメンは、後に自分が新しいシャネルの広告塔になるとは知る由もなかったのだ。

ほどなくして数々の雑誌の表紙を飾るようになった。
98年にはDKNY、Versace、99年はValentino、Versaceの広告に登場。

2000年にはVogue主催のModel of the Yearにも選ばれ、翌年にはMax Mara、Nine West、Tommy Hilfiger、Valentinoなどの広告を獲得。そして、03年にはついにChanelの広告へも登場した。



Diorの香水の顔にもなり、07年には10もの広告をゲットしたりと長いキャリアを積んだ現在でも安定した人気があります。足が小さいため、ランウェイでは靴が脱げてしまうことも少なくないそう。
大事な(?)下の毛を“G”の形に剃毛したGucciのキャンペーンも話題になりました。あれは芸術的だったなぁ…。

そんな彼女はモデル以外に様々な顔を持っています。

特に幼い頃に父親に教えてもらって以来、彼女の情熱でありほぼ毎日やっている“チェス”で有名。

チェスの名手であるカルメンは2004年にエストニア国際チェス・リーグの理事長を務め、多くの国際大会のゲストに招待されたりと、チェス人気向上の為に尽くしました。2007年は母国エストニアへチェスオリンピックの誘致活動も行いました。残念ながらドイツに選出されたものの、“Spermodel Chess”と取り上げられ、美しいモデルがチェスに興じる姿は宣伝効果抜群だった事でしょう。


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チェスをやるときはメガネなのね

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女子世界チャンピオンともやりました


EU議会のエストニア代表に立候補(するもの落選)したり、女優としてミステリー映画に出たり、母国で共同経営者として母親と共にエージェンシーを経営したり、BMWを酔っ払い運転で止められたり。見た目と違い、非常にアグレッシブな性格なのです。子どもの頃も、性格は『男の子のようだった』そうです。

趣味はチェスに乗馬、ネットサーフィン。

そしてe-mailのチェックを欠かすことが出来ないという、“メールチェッカー”な一面も。
5年後の自分に何を見るかという質問に対しては
『レイ・エバンズの有名な詞があるの。
“少女の頃、お母さんに私は大きくなったら何になるの?綺麗になれるかしら?それともお金持ちになれるかしら?と尋ねたら
母は私に言った。ケ・セラ・セラ、なるようになるのよ。未来はわからないんだから。”
なるようにしかならないわ。』


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ワイルドなジゼルと


最初の頃はケイトらに続くウェイフ・モデルとして注目されてたみたいですね。その割にはかわいい系に仕立てられることも多かったみたいですが。ジゼルなんかとも絡むことが多かったようで。

表情にバリエーションがあるわけでもないですが、黙って決めるその顔だけで満足させられてしまうのです。

あぁー、こういう姐さん系モデル好きなんですよね…マリナ・リンチュクとかダリアとか…。


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セクシー                   カワイイ系に仕立てられたカルメン

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ばっさりヘアカットをしたことも            綺麗なライン


そしてカルメンはジーンズとかパンツルックの印象があります。もちろんナイトドレスとかも神々しい美しさですが、Micheal KorsとかのドレスAdも素敵だけど、ジーンズを履いた下半身のスタイルがかっこいい。というか好き。そしていつも困ってるみたいな顔。

バックステージや仕事以外のところなどでもカメラさんへの愛想が良い方。
女性大統領になりたいとか言ってたのもカルメンでしたかな??シンディ・クロフォードもそうだったな…。

いつの時代も知的女性を求めるファッション界が好むモデル、それがカルメンCらしいですよ。


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眠れる森のなんとかってやつですか。