眼に留まったニュースが気になり、関連する事項も想い起し、少し考え事をしている。文字数が嵩みそうだ。文字数が多いのは鬱陶しいということであれば、以下は読み飛ばして頂いて構わない。

イリナ・ファリオン(1964-2024)という女性が在った。

「在った」としたが、極最近ということになる7月19日に他界された。射殺されてしまったのだという。御冥福を御祈りする。

御自宅の近くで、何者かに銃撃を受けて倒れ、救急搬送されたものの銃撃による傷は重く、助からなかったということだ。社会の安寧への野蛮な挑戦というような暴力は、何処の国や地域であれ、許されるべきではないであろう。

この銃撃、殺害の実行犯が捕えられたという報は伝わっていない。それ故、実行犯の個人的な事情なのか、何らかの背後関係が在るのか、犯行の動機等の仔細は未だ不明だ。

イリナ・ファリオンとは、何処の如何いう方なのか?

ウクライナ西部の代表的な街であるリヴィウに在った方で、一口で肩書を言えば「元国会議員」ということになるであろう。

「元国会議員」と言っても、最高会議(=国会)の議席に在ったのは2012年から2014年と限られた期間であるようだ。その「元国会議員」ということ以上に、「“ウクライナ”優先」という考え方のイデオローグ(理論的指導者)というようなことで知られていた人物かもしれない。所属した政党は、「“ウクライナ”優先」という考え方を激越に押し出すような、所謂「極右」の政党である。

イリナ・ファリオンは、政治的な動きで一定の知名度を得て行く以前、教員であったようだ。ウクライナ語やウクライナ語教育を専門としているのだという。

ウクライナは旧ソ連の国だ。旧ソ連は、15の共和国が連邦に加盟して成立という建前だった。15の共和国には、各々の場所で用いられて来た言語が在る。そうした言語と、全連邦の共通語のようになったロシア語とが併存させようとしていたのだ。

連邦への「加盟」が在るなら「脱退」も在る筈だと、ソ連末期にバルト3国がソ連から独立した。その後、ソ連の継続が諦められた中で、残る12共和国が各々に独立国ということになって行った。

一足先にソ連を去ったバルト3国は、「加盟」の以前に独立国で、3国の言語が普通に使われた自然な「一体となった版図」と呼ぶべくモノが最初から在った。1990年代時点で、バルト3国ではソ連時代を「占領下の時代」と呼んでいて、それ以前の独立国であった時期に復したという意識が強かったと見受けられる。そして3国各々の様々な歩みが在って現在に至っている。

ウクライナはこういう事例とは少し様子が違う。

ウクライナの版図は、第1次大戦やロシア革命、更にソ連の成立、第2次大戦等を経て段階的に「現在知られる版図」になって行った。かなり「人造的」な版図である。少し言葉を換えると、ソ連の後に現在知られているウクライナが登場する迄、未だ嘗て「現在知られる版図」の「国」が在った経過は無い。

「人造的」な版図を捉えて「独立国」という体裁にした場合、そこに登場するのは「文化のモザイク」というような地域である。様々な経過でそういうようになってしまった場合には、「文化のモザイク」という中で様々な人々や地域が緩やかに結合して、安定した社会を築くことが目指されなければならない筈だ。

ウクライナにはウクライナ語が在る。が、同時にロシア語や、相対的に少数派となる他の幾つかの言語も在る。それらは、とりあえず併存する訳だ。

ウクライナはロシア帝国の統治下に在って、ロシア語話者が古くから住み続けたような経過は在る。他方でソ連時代、様々な産業が立地したウクライナにはロシア等から多くの人達が移り住むというようなことも在った。そういう訳でロシア語話者の割合は高くなっていた。場合によっては、ウクライナ語話者が何世代か前からロシア語を多用するようになって、現在ではロシア語話者という例も在るらしい。

ウクライナ語やウクライナ語教育の専門家としてのイリナ・ファリオンは、何世代か前まではウクライナ語話者であったという人達がウクライナ語を学んで使うようにするというような活動に関わった。また、「ウクライナ人の国であるウクライナでウクライナ語を使うのは当然」とウクライナ語がより広く普及し、使われるようにという運動を起こした。

率直に、ウクライナ語はロシア語に比して冷遇されていたような面は在ったかもしれない。ウクライナに関係する事項であっても、ウクライナ語の文物が紹介される量や頻度は、ロシア語による紹介の量や頻度に及ばない状況であった訳だ。

そういうことから「ウクライナ人の国であるウクライナでウクライナ語を積極的に使おう」とすること自体、特段に問題は無いようにも見える。主要な都市等の地名にはロシア語での呼び方とウクライナ語での呼び方が在る訳で、後者の普及を図るというのも悪くはないであろう。ウクライナ語による優れた文学作品、歌や舞台芸術や、その他様々なモノは現在以上に紹介されても好いであろう。

しかし、「文化のモザイク」というような地域である以上、「ウクライナ人の国であるウクライナでウクライナ語を積極的に使おう」の「行き過ぎ」は社会を変に揺るがしてしまうかもしれない。

例えばである。「〇〇〇という街で生まれ育ち、現在もそこに住んでいます。母語はロシア語です。1991年からはウクライナで、ウクライナのパスポートも持っています」という“ウクライナ国民”は大勢居る。対して「〇〇〇という街で生まれ育ち、現在もそこに住んでいます。母語はウクライナ語です。1991年からはウクライナで、ウクライナのパスポートも持っています」という“ウクライナ国民”も大勢居る。“ウクライナ国民”は多様なのだ。

ウクライナが「文化のモザイク」というような地域である以上、“ウクライナ国民”は多様にならざるを得ないので、その共存が図られなければならないのだと思う。が、何時の間にか「ウクライナ人の国であるウクライナでウクライナ語を積極的に使おう」の「行き過ぎ」が見受けられるようになった。

イリナ・ファリオンは、ウクライナ語やウクライナ語教育の専門家として「ウクライナ人の国であるウクライナでウクライナ語を積極的に使おう」という動きに身を投じていた中、次第に先鋭化して行ったようだ。「“ウクライナ”優先」という考え方を激越に押し出すような、所謂「極右」の政党に関わり、「“ウクライナ”優先」という考え方のイデオローグ(理論的指導者)というような存在になって行った。イリナ・ファリオンは、ロシア語話者を排斥することを是とするような発言を繰り返していた人物として知られている。

ウクライナの経過を観ると、ユシチェンコ政権の最後の方、2010年前後から「ウクライナ人の国であるウクライナでウクライナ語を積極的に使おう」という動きが少し活発になった。これはステパン・バンデラ(1909-1959)にウクライナ英雄の称号を授与という出来事が契機になっていると見受けられる。ステパン・バンデラという人物は「手段を択ばずに故国の独立を掴み獲るのだ」というような激しい活動家であったようだが、ソ連とドイツとの間で揺れ、第2次大戦末期にはドイツに囚われの身になっていてソ連になったウクライナに帰国することが出来ずにドイツに在って、やがて暗殺されてしまったという人物だ。

2010年代になって、ウクライナ語を促すという様子が強まって行った。ウクライナ語を優先する様々な規則が制定されて行った。そんな中、例えば「ロシア語話者がロシア語で民事訴訟を行えない」というような事態も惹起する。法廷のような公の場では「ウクライナ語のみ」ということになったのだ。「如何に対応するのか?!」という話しになる訳だ。

2014年頃ともなると、ウクライナ語を優先する様々な規則に戸惑い、不満を感じる人達も少し目立つようになった。そこに「オレンジ革命」で、その間隙に「クリミア併合」である。以降は「第1次ロシア・ウクライナ戦争」とも呼ぶべき、種々の衝突が見受けられる状態が生じた。そうした中、ウクライナでは「或いは社会が軋む?」という雰囲気も無くはなかったようだ。

やがて2022年の「第2次ロシア・ウクライナ戦争」とでも呼ぶべき大変な戦禍である。怖ろしい事が次々と起こった。人々にとっては災厄という以上でも以下でもない。

こういう中「〇〇〇という街で生まれ育ち、現在もそこに住んでいます。母語はロシア語です。1991年からはウクライナで、ウクライナのパスポートも持っています」という多くの人達の中には、「怖ろしい災厄をもたらす人達の同類でもないのだ!」という感じ方が強まる人達も出て来る。そうなると「ロシア語よりもウクライナ語を使うようにしてみよう」という考え方も出て来るかもしれない。と言って、ずうっとロシア語話者である人が、不意にロシア語を棄てること等出来る筈も無いのだが。

概ね、現在の高校生相当年齢かそれより若い人達はウクライナ語による学校教育を受ける機会も多かった世代である。そんな人達は、友人同士等でウクライナ語を話す。が、帰宅して両親等と話す場合にはロシア語を使う。ロシア語話者の両親はウクライナ語を学ぶ機会を持ったこと等無いので、よく知らない訳だ。こういう様子での「バイリンガル」というのがウクライナでは多々見受けられるということになる。

ウクライナ語を優先する様々な規則に戸惑い、不満を感じるという人達が在ったとして、中には「ロシアの介入も辞さず」という場合も在るのかもしれない。が、より多くの人達は「多様な国民が平穏に暮らす国であるウクライナ」というような様子を望んでいるだけなのだと思う。2014年頃からの紛争が2022年に激しさを増し、もう2年半にもなろうという情況だ。戦禍によって、余りにも多くが損なわれてしまってもいる。

イリナ・ファリオンの事件は傷ましい。「社会の安寧への野蛮な挑戦というような暴力は許されない」という反応の他、「敵対勢力の謀略である」というような反応も在るらしい。後者の「謀略!?」に類する話しをする人達が在る様子が、凄く気になる。

最近は何かにつけて「謀略!?」というような話しになるのかもしれない。が、如何に「元国会議員」とは言え、イリナ・ファリオンを殺害して迄排除しなければならない理由が判り悪い。

「“ウクライナ”優先」という考え方も「行き過ぎ」になれば、「文化のモザイク」というような地域に亀裂や軋みを生じさせるばかりかもしれない。その亀裂や軋みの部分に、妙なモノが浸透して、非常に大きな禍をもたらしてしまうのかもしれない。

本稿の中で何度か例示した「〇〇〇という街で生まれ育ち、現在もそこに住んでいます。母語はロシア語です。1991年からはウクライナで、ウクライナのパスポートも持っています」という、極々平凡な“ウクライナ国民”が「困窮すること無く、少しなりとも心豊かに平穏な人生を過ごす」ということが叶うようになって頂きたいと何時も思っている。

偶々眼に留めた、イリナ・ファリオンの事件の報を見て、色々と考えた。