少し雨が交り、風が些か冷たいので、何やら肌寒い。気温も少し下がってしまっている。何時迄も心地好い感じにはならない当地である。

最近、「東京都知事選挙」というモノに関する話題が耳目に触れる機会が多い。7月7日が投票日であるそうだ。

知事や市町村長、都道府県議会や市町村議会の議員、更に必要な場合の議員の補欠選挙というようなモノは全国各地で存外に多く行われているようだ。そういう選挙だが、「2024年7月投票」というだけで、52件にも及ぶそうだ。

各種選挙に関して。「2024年7月投票」というだけで52件にも及ぶというのが凄く多いというように思って少し調べると、更に多い例も簡単に見付かった。「2024年4月投票」というのは3つの選挙区での衆議院議員補欠選挙も加わって104件にもなったそうだ。

自身が住んでいる辺りでは、市長や市議会議員、知事や道議会議員、衆参の国会議員の各選挙、また必要が生じた場合の補欠選挙というような選挙は2023年以来、特段に催されてはいない。各選挙は原則的には4年に1回か3年に1回なので、それが特殊な訳でもないとは思う。

特殊な訳でもないが、方々での選挙に纏わる様々な話題が耳目に触れる場面が多くなると、特段に選挙が行われているでもない、自身が住んでいる辺りは「疎外されている?」と少し感じてしまわないでもない。別段に疎外されている訳でもない筈ではあるが。

想い起すと、選挙が実施されるということで、投票の御案内を頂くようになったのは都内に在った大学生の頃だった。卒業後は現在も住んでいる地域で御案内を頂いているが。

大学生になる以前にも、地元の北海道知事の選挙というモノが耳目に触れてはいた。立候補する方は、何時も「数名」という範囲だったと思う。名前を聞いたことがある大きな政党の支援を受けている方達や、道庁の高級幹部であった方、何処かの省庁に在った方、人気が高い国会議員であった方、その他色々な事例が在ったと記憶はするが、住宅街等に据えられるポスターの掲示板は、4枚や6枚の規則に定められた規格のポスターを貼るようになったモノだった。それは近年の選挙でも全然変わっていない。

大学生の頃に東京で出くわした「東京都知事選挙」というモノには少し驚かされた。ポスター掲示板が近所に現れた時、「何?!これ…」と登場したモノが何なのかよく判らなかった。「その辺に、俄かに用途不明の“壁”が現れた…」という様子だった訳だ。これが、規則に定められた規格のポスターを貼る箇所が何十箇所も在るような巨大な掲示板であった訳である。選挙の運動期間になると、報道で盛んに名前を見掛けた候補の他、何かで著名な方や、「この方は?」という方迄、沢山の候補者のポスターが掲示板に掲出されていて驚いた。

この「2024年7月投票」の「東京都知事選挙」も、その規則に定められた規格のポスターを貼る箇所が何十箇所も在るような掲示板が登場しているようだ。言葉を換えると、報道で盛んに名前を見掛けた候補の他、何かで著名な方や、「この方は?」という方迄、多数の多様な候補者が登場しているのである。

掲示板に言及したので触れておく。今般は、前例が無いような掲示板の使い方をしている例や、掲出したポスターが「迷惑防止条例」に抵触する可能性が在ると警察に警告されたというような例や、少し不思議な様子になっている。何れ、色々なことが論じられるであろう。

自身が「東京都知事選挙」というモノに投票する“都民”であった時期は極々限られた期間―たった1回、「東京都知事選挙」に投票した記憶は在る…―で、それも「かなり昔」である。現在の選挙に関して「あなたには関係無い」とでも言われれば「そのとおり!」である。更に言えば、何かで「本当に東京都内に所用」ということで東京へ南下した例は、10年単位の長期間に亘って思い当たらず、何かの折りに通り過ぎた些かの例が思い当たるばかりである。戯れに「有名な〇〇知事様に嫌われて“出入り禁止”かもしれない…」と嘯く場合さえ在る。流石に東京に“出入り禁止”を食らう何物でもないとも思うが。要は、長い間に亘って、物理的に、そして明確な理由は不明ながら心理的にも東京とは些か疎遠なのだ。

そういうことではあるが、「東京」に関して思うことは在る。

多分「東京」は、「方々の佳いモノは東京に集まるのが当然」という程度の感覚を有している、逆に「東京に集まるのが佳いモノ」という感覚で、東京以外の全国各地との「妙な距離感」を有している地域なのかもしれないと観ている。

自身は「移動すること自体」が「何か愉しい」と思う面も在って、傍目には慌ただしいかもしれない感じで各地を動き廻ってみる場合も在る。或る時、関西を訪ねた後に名古屋に立寄り、東京から空路で北海道へ引揚げるべく横浜に泊まったということが在った。その際に東京に少しだけ立寄った。

その東京へ立寄った際だった。「そう言えば、名古屋でこの名物を愉しむということをしなかった…」という“名物”に東京で出くわした。出くわしたのは<ひつまぶし>であった。その<ひつまぶし>を大変に美味しく頂いた。そして少し後に「名古屋の名物を東京で?」と、少し不思議な気分だった。

 

ひつまぶし…:<ひつまぶし 名古屋 備長>丸ビル店(2022.08.05): MONOCHROME-モノクローム寫眞 (seesaa.net)


東京駅にでも佇み「名古屋で<ひつまぶし>…」と思い付けば、新幹線で2時間を切る感じで名古屋駅に向かうことは可能だ。が、東京駅の近隣で10分も歩けば、名古屋の名店の支店が在って同じ料理が頂ける訳だ。これは新幹線で2時間を切る名古屋に限らず、全国の方々の少し知られた料理に関して「在る」話しだと思う。

最近、当地にも何やら「クルーズトレイン」なるモノが乗入れていて、御近所に眺めに行ってみたことも在った。「何かの所用の際に一寸…」ということにもならない「限定の中の限定」という列車で、気軽に“普通”な範囲の料金で乗車出来る訳でもないので、乗車機会を設け悪い列車ではあるのだが。

THE ROYAL EXPRESS(ロイヤルエクスプレス)が南稚内駅にやって来た…(2023.09.23): MONOCHROME-モノクローム寫眞 (seesaa.net)

こういう「クルーズトレイン」なるモノが盛んになった契機はJR九州による<ななつぼしin九州>だったと思う。完成し、準備を重ねて営業が始まろうという段に至って、テレビ番組等で随分と盛んに紹介されていたことが在った。

 

都城駅に停車中の<ななつぼしin九州>(2014.12.17): MONOCHROME-モノクローム寫眞 (seesaa.net)

こういう紹介の場面で「九州に行って乗ってみたい」という話しの中に、時々「東京に来ませんかね?」というような話しが紛れ込んだ。美しい豪華列車が御近所に、馴染んだエリアに現れる様を見たいというのは全く判らないでもない。が、「来ませんかね?」という話しが出ていたのは「東京」だけだったと思う。

個人的には、これこそが「“東京”的」というようなモノだと感じた。「方々の佳いモノは東京に集まるのが当然」という程度の感覚、または「東京に集まるのが佳いモノ」という感覚である。

<ななつぼしin九州>に関しては、九州の伝統工芸品や九州の木材等を贅沢に使った車輌内装で、九州の食材による料理や九州の銘酒を列車内に設えた食卓等で供するというような感じになっていて、九州の名所を巡るというように構想されている。「東京」は無関係なのだ。無関係であろうと何であろうと、「日本一豪華?」という話しにでもなれば、「方々の佳いモノは東京に集まるのが当然」という程度の感覚、または「東京に集まるのが佳いモノ」という感覚で、「東京に来ませんかね?」というような話しをする人達が現れる訳だ。

こういう「“東京”的」というようなモノが薄まって、積極的に「東京から〇〇へ行こう!」が強まり、「“東京”の力で各地を盛り立てる」という傾向が強まると、盛り立てられた各地が「“東京”を盛り立てる」というようになって行くのではないであろうか。

少し前に、東京駅の近隣に在った場面で食事を摂ろうとして、偶々出くわした御店が「名古屋の流儀の<ひつまぶし>」だった。ハッキリ言えば、札幌や他の大都市でも「〇〇の流儀の<XXXXX>」という他地域の名物が美味しい場所に出くわすことが多々在る。それでも「名古屋の流儀の<ひつまぶし>」を東京駅の傍で頂いた件に関しては「実に“東京”的だ…」と、少し微妙な後味のようなモノを感じることを禁じ得ない。

美味い鰻を頂こうと、如何いう流儀で頂こうが、何処で頂こうが、そんなことは如何でも構わないとも思う。が、「方々の佳いモノは東京に集まるのが当然」という程度の感覚、または「東京に集まるのが佳いモノ」という感覚、「来ませんかね?」ではなく「行こう!」を少し大切にしたいという程度には何時も思う。

話しが次第に「遠心力で弾け飛ぶ」という様相になってしまった感だが、最近話題の「東京都知事選挙」というモノについては、少し注目しようとは思っている昨今だ。