月が改まっていた。6月1日だ。

最近は10℃を切る気温という様子が目立ち、暖房を使用している例も多々見受けられた。それが、6月に入ったが故ということでもなかろうが、10℃を超える気温で心地好い日中だ。そして早朝の時点で天に雲が少なく、日出の様子もよく見える感じだった。

 

↓こちらは日出前だ。

 

↓こちらは日出だ。



「6月」と言う。「月」に数字を冠して呼んでいる。飽く迄も極々個人的な感じ方だが、何か凄く「便宜的であろうとすることに傾き過ぎている」と思わないでもない。

そういうように思っていれば、多くの外国語で、単純に数字を冠したということでもない「月の名」が使われていることに思い至る。

「6月」は多少知っている外国語では「June」(英語)、「Июнь」(露語)だ。一寸調べると「Juin」(フランス)、「Juni」(ドイツ)、「Junij」(スロベニア)、「Iunie」(ルーマニア)という感じで、欧州系の諸言語では「語源が同じ?」と思わせる。他方に「Червень」(ウクライナ)、「Kesäkuu」(フィンランド)というような、そういう類推からやや外れているように見える例も見受けられはする。

日本語でも、「月」に数字を冠して呼ぶ以外の「異称」が在って、代表的なモノが知られている。12の月に各々そういう異称が在る。

「6月」は「水無月」(みなづき)だ。「無」という漢字は「な」という仮名文字の代りで、現代語の「の」に相当するらしい。故に「水の月」というのが6月の異称である「水無月」が意味するものなのだという。

こういう月の異称は「旧暦」に基いて名付けられ、拡がり、定着している。「旧暦」は現在の暦とズレていて、「6月」は現在の「7月頃」に相当するようだ。水田の水や、稲の生育を促す雨というような、農業関連の水というようなことから出ているらしい異称だ。

「水無月」の字を見ると「水が無い?」という感じがしないでもない。そして「6月は雨がちな梅雨の時季?」という話しにもなるようだ。が、「水の月」という意味合いで、農事に関連する呼び方であって、梅雨の時季との関係性は強いのでもないということのようだ。

自身、東京に住んだ一時期を除くと、梅雨という問題意識が乏しい地域にばかり住んでいると思う。梅雨の雰囲気も全く知らないのでもないが、それでも馴染はやや薄いかもしれない。

時に「梅雨が無い」とも言う。それは正しいのかもしれないが、それでも「雨が降り易くなる梅雨の時季の情況」のスケールが小さいモノが発生し、何となく「雨がちな何日間か」という様子が見受けられる場合も在ると思う。

「水無月」と言えば、その名を冠した和菓子が知られているらしい。京都では殊に人気が高いそうだ。

「夏越の祓え」(なごしのはらえ)という年中行事が在るそうだ。1年の半分が過ぎる6月末に、半年分の邪気を取り除く御祓いをするという主旨の行事であるそうだ。同時に、残る半年を健やかに無事で過ごすということを祈るという主旨でもある。

その「夏越の祓え」の際に、「水無月」の名を冠した菓子を頂くのだという。残念ながら、それを実見した経過は無い。例えばこの「水無月」も含めて、折々の伝統的な和菓子を色々と試すというようなことでもしながら、長閑に日々を過ごすというようなことが叶うのであれば、そういうのは凄く好いのかもしれない。

「夏越の祓え」というような、「邪気を取り除く御祓い」という中には、「御祓いに臨む時期迄の無事に感謝」という考え方も含まれるような気がする。無事に感謝しながら、それが更に続くことを祈るというのが、邪気を祓うということに他ならない筈だ。

月が改まった日に好天というのは、何か気持ちが好いように思う。そういうことに感謝しながら、6月が好き日々となることを祈るばかりだ。