5月9日だ。当地は未だ少し寒いが、今日は好天だ。

 

↓早朝4時台の様子だ。



ベルリンの郊外で、ドイツのヴィルヘルム・カイテルとソ連のゲオルギー・ジューコフが両陣営の代表としてドイツの降伏文書に署名したことにより、独ソ戦が終結したのは1945年の「5月8日」だった。

ベルリンでの降伏文書署名は深夜の出来事で、モスクワでは時差の関係で日付が既に改まり、「5月9日」になっていた。そして同日に政府が独ソ戦の終結を発表した。

そういう経過が在るので、「独ソ戦の終結」は広く「5月8日」と記憶されているのだが、ソ連では「5月9日」が独ソ戦終結の記念日として記憶されることになった。

ソ連は1991年末に旗を下ろしてしまって、連邦を構成していた共和国が各々に独立国となって行った。それ以降も、それらの国々では「5月9日」が独ソ戦終結の記念日ということになっていた。

2014年に至り、クリミア半島の問題が生じ、ウクライナでは「他の欧州諸国に準ずる」として「5月8日」を「独ソ戦の終結」と考える方向に傾いた。そして昨年から公式的に「5月8日」を「独ソ戦の終結」と改めた。「5月9日」としているロシアとは「違う!」と主張しようとしている。

ウクライナは独ソ戦の中では激戦地であった場所だ。色々と惨い事態も起こってしまっていた。昨今の戦禍に関して、独ソ戦の頃の惨禍が繰り返されている有様で、正しい側に立つ国々の支援も受けながら、何とか「露シスト」を駆逐しなければならないと、「5月8日」にウクライナの大統領がビデオ演説をしたモノがネット上にも出回っていた。

 

↓関係リンクを挙げておく。

「ウクライナ人は再び悪と対峙している」=ゼレンシキー宇大統領、終戦・戦勝記念日に演説 【日本語全訳】 (ukrinform.jp)

ウクライナの大統領が用いた「露シスト」なる語は造語だ。独ソ戦の頃のドイツ軍は「ファシスト」と呼ばれた。それに「ロシア」を組合わせた訳だ。「ルシスト」というような発音に聞えた。「ロシアファシズム」というように日本国内のニュースでは伝えられているように見受けられる。

ロシアがウクライナに侵攻した中、ロシア側はウクライナ側に向かって「ナチズム」、「ファシスト」という語句を用いて非難していたことが思い起こされる。こうした傾向は、侵攻当初から現在に至るも、然程変わっていないと見受けられる。

こうして考えると、ウクライナもロシアも、「同じ語」で互いを同じように非難し合っていることになる。何が「ナチズム」で、誰が「ファシスト」なのか、何やら判らなくなっているかもしれない。確かなことは、戦禍が激しくなってから3年目になって、ウクライナの様々な地域で惨い状態が生じてしまい、社会の色々な事柄が損なわれ、何やら禍根が方々に残りそうだということだけだ。

「5月8日」と「5月9日」という話しで思い出した。「12月8日」と「12月7日」という話しである。

「帝国陸海軍は本八日未明、西太平洋においてアメリカ、イギリス軍と戦闘状態に入れり」と1941(昭和16)年12月8日午前6時に発表されたことから、日本では「12月8日」が真珠湾攻撃の日と記憶されている。対して、日付変更線が在って、「真珠湾」ことパールハーバーを擁する米国ハワイ州の現地時間では前日だった。それ故に米国では「12月7日」が真珠湾攻撃の日と記憶されている。

「5月8日」と「5月9日」という話しと、「12月8日」と「12月7日」という話しは少し似ている。或る出来事に関して、それが伝えられた場所の現地時間の故に、日付が1日違うということである。

出来事が伝えられた場所の現地時間の故に、違う日付を持ち出す人達が併存していても、「惨い状況も発生した、長く続いた戦争が終結に至った」、「色々な事柄が拗れて戦端が開かれてしまい、戦争が何年間も続く羽目に陥った」という「事実」に何らの変りも、違いも無いのだ。

違う日付が持ち出されようと、記憶されている事実は変わらない。時に、例えばその持ち出す日付にでも、過去の出来事に想いを巡らせ、残念な出来事を繰り返すべきではないというようなことを考えてみることが最も重要な筈だ。

「5月9日」であるが、ロシアではこの日を祝賀して色々と催事を行っている。過去、ロシア国内でその関係の様子を少し観たことはある。

 

↓関連の見聞である。モノクロ写真の入った記事へのリンクだ。

「5月9日」の予行演習:ウラジオストク(2018.05.04): MONOCHROME-モノクローム寫眞 (seesaa.net)

戦車…:「5月9日」向けの展示準備(2018.05.08): MONOCHROME-モノクローム寫眞 (seesaa.net)

「5月9日」のユジノサハリンスク:パレード(2017.05.09): MONOCHROME-モノクローム寫眞 (seesaa.net)

ロシアでの「5月9日」は、厳しい戦禍を潜り抜け、その後の歴史を創る役目を担った先人の苦労を偲び、感謝の意を表するべき日と位置付けられていると見受けられる。そういうことをしているロシアの人達が、80年の時を超え、また「厳しい戦禍」という情況を出現させることに関与してしまっているのが酷く残念なように思う。

ウクライナでの戦禍が激しくなってから3年目になっている。現地での「真実」は判り悪い。確かなのは、現地で余りにも多くの事柄が損なわれてしまっているということだけだと思う。加えて、事態は酷く長期化してしまいそうな様子になってしまっている。

5月9日を過ごす中、「5月8日」と「5月9日」という話しを思い出して、少し考えていた。